オーストリアでの労働3週間目の実感

ひええ、フルタイム労働大変だわ。

週5で労働してる全人類に尊敬の念を抱いている。

朝起きて9時には仕事場に着いてるというのが無理ゲー過ぎる。疲労(慣れない文化、言語、生活からか?)のせいにして永遠に睡眠していたい。毎朝頭の中で遅刻する言い訳を超高速に考えている。どうしてこんなにも労働前の朝は憂鬱なんだろう。

とはいえ何とか毎日電車に乗って会社に向かえている。会社に着くのはギリギリか少し遅れてるけど。因みに金曜日に近づくほど出勤のストレスが減っていく。

 

そういえば今週からパレスチナ出身の上司が休暇から帰ってきて色々話すようになった。体格的に強キャラ感が半端ない。

そして彼にアラブの国でたまに起きるリアルストリートファイトの話をしてもらった。ベルトがメリケンサックの役割を果たすらしくて殴るときの武器になるとか、相手が口から何か取り出そうとしている場合それが刃物である恐れが高いから注意せよとか。どんな世界線だ。

あとランチではタイムリーな話としてパレスチナアメリカ人ジャーナリスト銃殺事件の話も上がった。イスラエル警察が彼女の葬式を攻撃する動画を見せてもらった。自分の知識も英語力も足りなくてただ聞くことしかできなかった。けど無関心と思考の停止が罪であることもどこか自覚していて調べる契機になった(勿論イスラエル側の主張も合って自分がパレスチナ側の意見ばかり鵜呑みにするのも良くないと思う)。

 

ところで今の乏しすぎる食生活を打破するために、アジアンスーパーに行ってきた。この中国感本当に好き、実家のように安心する。

f:id:ziroppe:20220520061429j:image

取り敢えず醤油とみりん風調味料を手に入れた。日本で買うより2-3倍値段がした。日本のより安かったから試しに韓国の醤油を買ってみた。これは陳醤油って言うらしい。生で使うには臭くてしんどいけど、焼いてみたらなかなかに美味な甘めな濃口醤油。野菜炒めを作って食べるだけで大分幸せになってしまった。醤油無しではとてもじゃないけど生きていけない。

f:id:ziroppe:20220520060334j:image

アジアンスーパーを散策していたら懐かしさのせいかわからないけど、急に気持ちが湧き上がってきて悲しくなってきた。日本料理を作るにも一苦労という現状から、もくもく煙のように様々な不便な現実を想像する。コミュニケーション、食事、手続きなどなど。どうして不便な状況にわざわざ自分を置いて生活しているのだろう。分からなくなってくる。別に日本に居ても幸せだし。

対照的に寮や会社の人間と話すと、オーストリアの豊かさ、治安を求めて必死で永住の機会を掴もうとしていることがわかる。

自分の行為がただの物好きの道楽のように思えてくる。

けれどさっきのパレスチナの問題もそうだし日本に居るだけじゃ気づけないこともあって、確かに学べるものもある気がしている(それが物質的ではないから分かりづらいんだけど)。どうも日本に居た自分が恵まれすぎていて日本だけで完結しちゃって、知らなくても生きていけることが多いのかもしれない。

 

因みに社のエンジニアの同僚はほとんど彼女持ちか結婚していてびっくりする。こんなにも世界が違うものかと。何なら焦りすら覚えてくる(惚気話を聞くこと自体は楽しい)。環境で感覚が良くも悪くも全く変わっていく。さらに同僚の結婚式に参加して急に結婚が身近になってきた。新郎新婦素敵すぎて自分も結婚したくなっちゃうよ。ひええええ。

これじゃあ社会に文句を言う余裕もないし社会的なイベントに憧れてしまう。飲み込まれそうだぜ(それはそれで良いのだと思う)。社会に向けて捻くれた駄文を書くこと自体楽しいのだけれども、社会に生かされていることも同時に実感している。そりゃ社会的に認められる行動をそれなりに取った方が承認も得られて結果的に幸せになる気がしてくる。

 

という感じで三週間も無事に終わりつつある。

リンツに来てからの初ラーメン

f:id:ziroppe:20220513221244j:image

金曜で労働を早く終われたこともあって、同僚に紹介されたラーメン屋?に行ってきた。名前は一期一会(ICHIGOICHIE)。因みにエジプト人の彼はこの店のラーメンがあまり好きじゃなかったらしい。ただ彼女が好きらしくてしょうがなく付き合わさせられるとか。

場所はリンツの街の中心地。Hauptplatz駅から歩いて五分ほど。ショッピングセンターの中にある。

f:id:ziroppe:20220513221203j:image

勿論ジャパニーズレストランとは名ばかりで店員は全員中国人だったし、とは言えメニューは全て日本語のローマ字表記になっているし良くわからない。中国人マジでたくましいな。

f:id:ziroppe:20220513221029j:image

取り敢えずRAMENメニューの一番上にあるBLACKGARLIC_RAMENってやつを注文。12.5ユーロ。日本円換算で1600円行かないほど、普通に高い。とは言え異国の地でラーメンを補給できるのは貴重なので目をつぶることに。

f:id:ziroppe:20220513221010j:image
注文してから10分しないうちにラーメンがやってきた。早い。見た目は日本とも遜色が無いとんこつラーメン。

いざ口に運んでみる。そういえば異様に箸が長い。日本の1.8倍ほどの長さ。

f:id:ziroppe:20220513221150j:image
まずスープを一口。乳化気味のスープ。結構旨い、豚から旨みがしっかり採れている。塩っ気が強いのが唯一の難点。


次に麺を口に運ぶ。

とんこつラーメンにしては柔らかくて細くてただ弾力はあって不思議な麺。太さが全然違うのだけれども、深センで食べたラーメンの麺に近い。日本のとんこつラーメンに近づけるために、次頼むときは硬めを要望する必要がありそうだ。


チャーシューは結構ホロホロで炙ってもあって、個人的に非常に満足だった。魯肉飯に乗っているチャーシューに近いのかも!?

f:id:ziroppe:20220513221255j:image
そして無事完食。スープは全て飲むにはしょっぱかった。全体的に麺をどうにかしたら日本で食べれる並に美味しい。

誰かが言ってた、異国の地であっても中国人とインド人が作る料理は信頼できる、という言葉身を以て感じた。


とは言え次にまた行くかと言われたら微妙かも知れない。というのも日本でラーメン英才教育を受けて舌が肥えてしまった自分にはやはり何か物足りないのだ。過去の恋人が良すぎて何でもその恋人と比較しちゃうみたいな感覚?

こだわりが強くなりすぎたモノよりも、こんなものかと諦められるモノぐらいの方が良いのかも。経験を基に分析しないであるがままに受け入れられる。

 

ただ異国の地で食べるにしては美味しかったし、こうやってネタにもできたから良い経験だった気がする。


続く。。。

オーストリアに来て初めての週末だった

どうもやぱったです。遂に一週間の労働が終わり週末がやってきたらしい。

実は日本ではゴールデンウィークがあったため多くの人間は休日を過ごしていたのをオーストリアに来てから知って少し損した気持ちになった*1。。。



まず金曜は仕事を4時前に終わらせて街を散策していた。金曜は多くの人間が職場に来ないでリモートワークをしていた。会社の偉い人に聞いたところ、金曜は早く仕事を終らせる習慣があるらしく短い時間しか働かないのならリモートで済ませればいいじゃん!っていう理由らしい。労働契約通りの時間を働けば後はまあそんなに咎められないらしい(勿論成果も上げる必要があるが)。 そんなわけで仕事を早く切り上げて街の中心地でトラムを降りて、本屋だったり電気屋を見つけて入り浸っていた(日本とやっていることがあまり変わらないかも。。。)。

因みに電気屋ではGoProをしっかり見つけた。GoProを買って配信者になって欲しいと友人が言って止まなかったのをしっかり思い出した。 369ユーロ。初任給で買えそうな値段である。何とか買わない道を模索していたが、充分に手が届きそうで悔しいぜ。

本屋では勿論ドイツ語の本など読めるわけもなく、英語本コーナーを眺めていた。手にとってソファでパラパラ読んでいたけど、段々読んでいたら疲れてしまって10ページぐらい読んで止めた。黒人かつ同性愛者のジャーナリストの自叙伝だった。10ページだから、赤ん坊が生まれたところまでしか読めなかった。超音波検査による身体的特徴で生まれたときに性別を固定させるんじゃない、と訴えていた。正直僕にはそのジェンダーの実感がまだわからないんだけど、自分だけが持つ確かにそれは正しいと思えるような感覚だったりを言葉にして伝える行為を大事にしていきたいと思うのだった。機会があったら続きを読もう。因みに結構こっちの本は高い、新書ぐらいの内容でも平気で換算1500円とかする。本を買うのに日本最高すぎないか。

あとドラムを叩いた。取り敢えず一週間続いた。普通に楽しくて続いてしまいそうだが、毎日叩くと耳がぶっ壊れそうでそれだけ気をつけたい。隣の音楽部屋でバッハを弾いている子が居てそれがマジでうますぎたため色々聞いちゃった。 ところで誰か日本からドラムの教則本送って欲しい。お礼としてオーストリアのお土産を送り返そうと思う。

まあそんな感じで金曜が終わった。



土曜は同僚のメキシコ人がリンツの街を案内してくれた。その後別の同僚たちと合流して遊園地に行ってきた。

その同僚に限ったことではないがオーストリアの永住権を取得したい人は多いらしく、そのためにドイツ語を勉強している人を多く見かける。実際治安と快適さがトップレベルの国である。 日本が幸いにもかなり恵まれた国だからかそんなことを考えなくてもいいし、日本に居てもそこそこ安全で幸せにやっていけるのありがたすぎる*2

旧市街のハウプト広場に向かって歩き、その後マリーエン新大聖堂を見て回り、ペストリングベルク鉄道で登山してPöstlingbergkirche Wallfahrtsbasilika Sieben Schmerzen Mariaっていう聖堂を見た。これに関しては良い日本語訳がなくてドイツ語のまま書いてしまう。僕も読めない。 因みにKlimaticket Ö(気候変動チケット)って奴を買うとオーストリアの公共交通機関丸々乗り放題になってありがたい。年間購入だが途中で切り上げることもできる。登山鉄道にも勿論使える。

www.klimaticket.at


その後ドナウ川に沿って歩いてバーでビールを飲んでお話をした。彼も元々英語を話せるわけではなく、社会人になってから一ヶ月海外駐在を経験して必要性を感じてそこから頑張ったらしい。会社の人が皆ペラペラだから参ってしまっていたが、個人的な話を聞いたら少し元気が出た。俺も頑張ってみるか。


夜になって彼と他の同僚たちと会って遊園地に行った。5/8まで限定オープンらしくてせっかくだしということで連れて行ってくれた。めちゃくちゃ人が多いけど、勿論皆マスクはしていない。スーパーとか公共交通機関に乗るときだけマスクしている。アトラクションは花やしきUSJの間ぐらい怖かったし、お酒を飲んでいたから胃がギュンギュンした。最後の方は疲れてずっとコクコクしていた*3。夜22時を過ぎても皆元気で驚いた。とは言え周りの人たちが段々と疲れて携帯を見始めるのは日本とそんな変わらない光景なのかもしれない。 一対一とかだと英語が聞こえるんだけど、多人数で話すと所々わからなくなるし、愛想笑いで相槌するか、オウム返しするぐらいしかやることがなくなる。後周りが煩いともう英語が聞きとりづらい。あと普通に疲れていると聞く努力をしなくなる。 因みに同僚二人は彼女連れで羨ましくなってしまった。。。南米出身の彼なんて母国から彼女を連れて異国の地で一緒に生活しているとか最高すぎないか。てか彼女強いな、異国の地についていくこともそうだし、英語ペラペラだし。



そして今は日曜日でこうやって文章を書いている。疲れて9時間ぐらい寝てしまったし、まだどこにも外出できていない*4。 因みに今日見た映画でバブルってのが良かった。Netflix先行公開だとか。小畑健の絵を見て育った自分にとってキャラデザが刺さってしまったし、少女が現れて偏屈な自分や歪んだ現状を変えていくストーリーはありきたりだけど本当に好き(たぶんネタバレになっていないはず)。内容は全然違うけど、そういう流れが好きなら「アイの歌声を聴かせて」だったり暇があったら是非見て欲しい。

wwws.warnerbros.co.jp

ainouta.jp


今週一週間は慣れないことばかりで本当に疲れたから、こんな感じでのんびりして思考をまとめられる日があるのは本当にありがたい。何とかまた明日から労働を頑張ってみようと思う。

続く。。。

*1:とは言え4月は渡航準備という名目で充分に休養を取っていたらしい

*2:日本でも時折英語を学ぶことが推奨されているが別にその国が快適なら無理に頑張る必要は無いと思っている

*3:恐らく時差ボケとフルタイム労働で自分は予想以上に疲れているのだろう

*4:そもそもオーストリアでは日曜にやっているお店は非常に少ない。スーパーマーケットも殆どやっていない

オーストリアに着いて四日ほど経った

労働3日目が終わった。今は夜23時ほどである。今回は思いつくままにだらだら文章を書く。まだ数日だが日本語を話さなすぎて日本語が下手になったかもしれない(?)。

 

生活について。生活はそこそこ快適。水道水は飲めるし食べ物は美味しいし、五月の気候は穏やかで程々に涼しいし、治安は良いしで*1。まあ比較対象はロシアだからあまりあてにならないかもしれない。スーパーの商品の表示言語は全てドイツ語だから、段々と覚えた方が良さそう。今はスーパーの店員を捕まえて聞くしかない。

寮に着いてから、他の外人と誰とも話せないコミュ障ぶりを発揮していたが、洗濯の仕方も流石にわからないと困るから住民に教えを請うたり、またドラムを練習していたらイラン人の留学生生が話しかけてくれてコミュニケーションを何とか取った。我ながら大きな成長である。基本的に寮の住民は大体英語が使えるぽい、ありがたいぜ。自分から話しかける努力を少ししてみようと思う。

寮には音楽専用の防音室が二つあって、一つ目にはピアノが、二つ目にはドラムだったりアンプが置いてある。時たまピアノを弾く人を見かけるんだけど、マジでドラムを叩いている人は見かけない。ということでドラム叩き放題である。先月買ったモニタイヤホンが耳栓代わりで非常に役に立った。あと今日それっぽくフォービートが叩けるようになって感動した。

因みに先日無線LANルータを安く譲って貰ったのだがセットアップしてもインターネットに接続できない。What'sAppのグループで同じような症状の人を見かけた、大家に聞いてもろくな返事が返ってこない、端的に言ってクソである。とは言えインターネットは少し制限されてるぐらいの方が精神的に豊かになるのかもしれない。

 

次に労働について、三日ぐらい経って大分職場の雰囲気が掴めてきた。エンジニアチームは結構国際色溢れてて、出身国はエジプト、アラブ首長国連邦、アルゼンチン、メキシコ、アルメニア、ポスニアヘルツェゴビナ等々と多岐に渡る。オーストリアの一企業がどうしてここまで国際色溢れる人材を採用できたか甚だ謎だ。ただここまで国際色豊かだと、コミュニケーションはもちろん英語で行われるし、ドイツ語を殆ど職場で使わなくて済む(たまに出てきて困惑する、これを機に勉強でもしてみるか)。

 

基本的に社員皆めちゃくちゃ英語が流暢で驚いている。自分なんかしばしば聴こえなくなるときもあるし、言葉もよく詰まるというのに。。日本人代表として少しは頑張ろうと思う(そういえばリンツで日本人をまだ見かけていない)。

 

とは言え仕事のコミュニケーションは耐えることが多い。技術的な話は不思議とそれっぽく聞こえるし、通じないときでもテキストベースの資料を作ってそれを元に話せば通じる(気がしている)。そう考えると殊エンジニアにおいては、いざ現地に行ってみたら案外何とかなるのかも知れない。ただ仕事は何とかなっても、日常生活でコミュニケーションが取れないのはしんどい。これは努力で解決するしかない。

あと職場が結構ホワイト。朝9時前に出社して殆どが5時前に退社している。CTOであっても帰宅も同じぐらい早くて驚いた。雰囲気が良く皆でランチを取ったりするし、日本でのコロナ前のインターンを思い出して涙が出た。因みに雑談を聴き取るのは一苦労。良くわからないことの方が多い。これも慣れるしかない。

あとセキュリティ教育が厳しい。GDPR(EUデータ一般保護規則)のせいか色々ドキュメントを読まされるし、理解を確認する場も設けられる。

 

ところでオーストリアって音楽のイメージが強いし話を聞くと音楽教育に力は注がれてるが、皆が皆楽器を弾けるわけでは無さそう(そりゃそう)。これは海外の人が、日本人は毎日寿司を食べてるんじゃないか思うことと同じぐらいの誤解かもしれない。サッカーが好きな人は多そうで、サッカーの話ができると話題として便利かも(というかグローバルな人たちと話すときの話題としてそもそも強い)。因みにラグビーは全然盛んじゃないらしい、悲しい。

 

そういえば昔ほど貴重な時間を一生懸命使おうという意識だったり焦りがなくなってしまった。なるようになると思えることは精神衛生上非常によろしいんだけど、逆に何かに飢えて狂った努力をすることができなくなったことを意味するのかも。まあ6カ月と時間は長いから程よく持ちこたえようと思う。段々と仕事に慣れてきたら遊びにでも行こうと思う。

 

続く。

 

 

*1:とは言え通勤してる女性にだる絡みしてる飲んべえはいるし、公園でドラッグが売られてたりはする

コロナ禍の飛行機、快適かもしれん!

オーストリア行きの飛行機に乗り込んだやぱったです(このブログを公開している頃にはドーハでトランジット中らしい、飛行機で衛星Wi-Fiが使えると謳われたものの永遠にサービスは利用不可能だったし機内サービスでインド映画を観るぐらいしか暇を潰す手段がなかった、段々英語を追うのに疲れてすやあと気持ち良く眠ってしまった)


飛行機に乗り込むまでは不安と期待で宙ぶらりんになってたけど、友人が成田空港まで見送りに来てくれて元気を貰った

同時に空港で自撮り棒を買わされたりした、これはもしかしたら将来大物配信者になる伏線かもしれない

 


ところで成田空港の中はびっくりするほど閑散としていて体感8割以上の店が閉店しているし、けどその少数の店自体はそこそこ混んでいて食事を摂るのに人々が並んでたりする

 


チェックインなんかは凄く快適で、最後に海外渡航した二年前(もしかしたらもっと前かも)に比べると全然人が並んでいなくて、驚くほど早くチェックインが終わって驚愕した

 


飛行機の中にも影響が及んでいて、ガラガラで左右に誰も座っていなかったりする人たちが多くて、席四つを専有して横になっている人がいたりでコロナ前なら絶対に見られない光景である

 


かく言う自分も左右に誰も座っていないから荷物を置き放題だったりする、ありがたい!

これ逆に機内に楽器を持ち込むバンドマンだったりは、一応機内持ち込みのために席を二席買わなければならなかったりで損した気分になるのかな、乗ってみたらどうせ誰も座っていないからそんな二席なんて考えなくて良かったじゃん!二倍お金払っちゃったよ!と

 


搭乗時間が同じぐらいの人生初の海外渡航モスクワ行きのフライトなんて、席は狭いし、隣に人は座ってるわで非常に窮屈な思いをしたけど、今回は段違いで快適だった、同じエコノミークラスでもここまで変わるものなのか、悔しいがコロナ渦に感謝しなければならないようだ

渡航準備向いていない

海外渡航に向いていないんだとひしひしと感じる。

荷物の準備も永遠に終わらないし、何を持っていけばいいかわからなくなるし、ビザの申請も一回失敗して再申請しなければならなかったし!


目の前の準備から逃れて、本屋にでも行ってしまいたくなるし、面白そうな本を読んでいたら気づいたら一日終わっているし。


本当に面倒くさいのだけれども、どうやら自分は同じ場所に長く居続けたら退屈になってしまってここじゃないどこかを求めてしまうし、それで興味の赴くままに行動してしまっていて、気づいたときには面倒くさくなるのだけれど後にも引けなくて、惰性で後始末せねばならなくなってしまう。


準備をしているときなんかすごく憂鬱で、果たしてあっちに行ったとき言語は通じるのだろうか、きちんと入国できるのか、仕事でクビにならないかとか永遠に雑念が湧いてくる。憂鬱で心配だけれど、別に根本的な原因を解決するほど勤勉でもなく、目の前のことが嫌になって普段絶対しない先祖のお墓参りでもしてしまう始末なのである(先祖に謝れ!) 。


先祖に頼ったからと言って何か準備が進展するわけでもなく、そこじゃない!、と気づいて夜になって急に思い出したかのように手続きを頑張る。そして、ヨーロッパ時間だとまだ全然営業時間だからオッケーなのだ!と開き直る。 開き直るんだけど、英語でメールを送ろうとした途端面倒くさくなる。送らねば向こうに行ってさらに苦労するのだぞと、もうひとりのやぱったが耳元で囁くのだが、彼の囁き虚しくTwitterを見始めてしまう。ネットサーフィンに飽きてやっとメールの返信が完了する。時計を見たら夜の三時ぐらいになっている。ヨーロッパ時間だとまだ深夜じゃないのだ!と開き直って再びネットサーフィンに精を出す。


ダラダラそんなことをやっていても、時間は無慈悲に過ぎていくし、神様、仏様、なぜ我に七難八苦など与えたもうたのですか?と問いただしたい心境である。ただ書いてから気づいた、勝手に辛いのだと思い込んでいるだけで、いざ渡航してみたらこれは氷山の一角に過ぎないことに気づくのだろう。


 多分あっちに行ったらもっと面倒くさいことが起きるだろう。ただ生活のために面倒くさいことでもやらねばならぬと腹を括ると楽観している。果たして自分が見込み通りなのか見込み違いなのかは行った後の行動次第だが、どちらにせよ何か必死になって頑張っていたら文章のネタになるのでまあきっと大丈夫だろう。 ダメだったら多分日本に帰っている。そうしたら惨めな僕に誰かご飯でも奢って下さい。。。

物語に酔えなくなってもできる仕事ぐらいがちょうど良い

以前書いたこれに対する裏テーマのような記事。

yapatta.hatenablog.com

 

 

最近、大きな物語への陶酔から覚めたとしても、その分野で働き続けて大丈夫だと思える仕事に就くぐらいがちょうど良いような気がしてきた。

 

多くの人達は物語に完全に酔っていなくても酔ったふりをして、バランス感覚を持って生きている。どこかで冷めているけど、それをやった方が社会的に有利な立場で居続けられるってのを身体で理解している。何ならあまり考えないようにしている。

 

「私は御社でこのようなことをして世界に笑顔を届けたいと思っています!」と書いているエントリーシートを見てしまった。その職種から世界に笑顔を届けるには論理が飛躍しすぎていると思うし、どのぐらいの人が本気でそう思ってるからわからないけど彼らなりに物語を作って世界に取り込もうとしている。

 

一方僕なんかもっと愚かで正直だから、物語に酔って一生懸命やってるうちは本気で世界に笑顔を届けようとすら思ってしまうわけだが、急にトカトントンという声が聞こえて自分がやっていることが空虚に思えてしまう。そして過去の持論を撤回して、メタ的な視点を持ったかのようにインテリぶってしまう。ただ個人というものは矮小であり、結局社会の歯車として動き続けてる分には大なり小なりあまり変わりがないのである。

 

自分はそんな感性を持ってしまっていて、今さら向き合い方なんてものを変えることも難しいから、ハテどうするべきかと悩んだ。自分が乗っかかる物語を失った状態でも、どんなに空虚に思ってても、生活するためにお金は稼がないといけない。組織に属するのだったら組織の物語に曲がりなりにも同調して面従腹背であろうと利益を上げる必要がある。あらゆるモノが資本主義化する世界に反旗を翻して、脱成長を掲げてコミュニストに転じても良いわけだが、そんなことをしてもちっとも自分の生活は良くならないし、幸か不幸か自分はその思想を押し通すほど物語に陶酔できないのだと思う。またトカトントンという声が聞こえてきそうだ。

 

となると自分なりの折衷案として、物語に酔えなくなっても惰性で努力できることを仕事にするぐらいがちょうど良いような気がしてきた。自分は操作主義的な自己啓発には嫌気がさしてしまったし(自己決定論、自己責任論ってものに染まった時期もあったが、それは案外決められた個人、周りのかのパラメータ上で踊らされているだけかも知れない。ただ強者達に都合が良い理不尽ゲームとも言える。)、とは言え社会的に自己決定論の恩恵を受けている方だし、社会変革を願って活動家になるほどのエネルギーも持ち合わせていないから、現実のそのようなルールに惰性で従うのである。現状に違和感を抱きながらもそこそこ有利な立場にいる宙ぶらりんな存在だ。

 

物語なんか無くなっても利害関係で動く世界ならまだしも、物語を作らねば成り立たない業界なんてのもある(具体的な話をしてしまうと自分が吊し上げられてしまう気がして恐ろしい)。まあ、ある行為が変に高尚なものへと祭り上げられてしまっているのだが、逆に偽善のような物語で人を従わせなければ成り立たない裏返しにも思えてくる。とは言え押し付けられる物語を理解しながらも、自分が今ここで向き合っているコト自体が楽しかったら全然その業界に居たい。楽しいと思えることは貴重だ。問題は自分にそんなポストが充てがわれるかどうかという話だが。

 

まあとにかく、陶酔できなくてもその物語の文脈を掴み取って、利害関係に合う接点を見つけることが一番生きやすそうだ。生活するために多少目をつむるのは仕方が無い。

 

最後に僕は物語を作り出して周りを巻き込める人に本当に敬意を示したい(それが悪い方向に進むとサリン事件のようなモノが起こるから注意は必要だが)。世の中を変えたり何か一つの分野で大成する人たちに抱く(安易な)イメージと多少の実感。逆に自分には無理なのだろうと半ば諦めている。どうしても途中でトカトントンしてしまう。自分ができることなぞ、物語の文脈を汲み取って皮肉るぐらいだ。