外国に暮らすってこと

仲が良かった中国人の会社同期が国に帰ることになった。そして部署で会社の同期が自分以外遂にいなくなった。

 

彼と話すと国に居た方が家族が近くにいたり、言語バリアを感じなかったり、言語や国籍などが理由で選択肢が減ることも少ないみたいだ。こういう話を聞いて昔オーストリアに居たときのことを思い出した。

一時的に滞在している国に思い入れを持つって難しい。どうしても居たい理由を持てないと、わざわざ長くその国に居て言語も文化も覚えて、って努力できない。生活もビザに縛られるし、当たり前のようにその国にいれる訳ではない。生きているだけで感じる不自由をどこか受け入れる必要もあるだろう。

 

そしてふと思った。昔は解像度が低くて、とりあえず外国生活を経験するかと短絡的に考えてた。一時的な刺激だけを見てたのだと思う。自分が変に大人になったのか、オーストリア生活を経験したからか、日本で生活してる外国の方と仲良くなったせいか、外国にそこそこ長く滞在することは覚悟が要ることのように思えてる。そして今の自分にその覚悟がないのだと思う。

日本の生活はめちゃくちゃ楽だ。外食の値段の安さといい、いつでもオープンしてるお店といい、更にあらゆるもののサービスクオリティも高く、何かと便利なものに囲まれている。自分が日本語ネイティブというのも便利さに拍車がかかる。更に外見が東洋人である以上、マジョリティとして社会の上に簡単に乗っかれる。

そういうものを全部捨てて、取りあえず別の国に行くかーっていうエネルギーが無い。今の生活に満足しちゃってる。比較的楽しく暮らせてしまっている。うーん、楽しいなら何の問題もない気がするが、恐らく自分が外国で仕事を見つける能力を多分持ってて、サバイバルの方法もそこそこ知ってて、そこそこ若くて、周りに日本でサバイバルしてる外人が多くて、それでいてその選択肢を取らないってのが、何となく勿体ない気がしてる。普通できない経験をするってのは絶対人生おもろくなると思う。さらにどうせ老後日本に帰れるし、リスクはないはずなんだ。帰れる国がS級の国なのだから。

まあだからって外国行くのが人生の目的みたいになるのも変な話だ。別に、その国でしかやりたくないことみたいなのは今のところ思い付かないんだよな。そして挑戦だったら外国住む以外に他に色んなことができると思う。急には思い付かないが、挑戦って色んなタイプのことがあると思う。今までやってなかったことを頑張ってみたらそれも充分挑戦だ。大きな挑戦以外が挑戦じゃないなんてそんな訳ないし、コツコツ続けることで何か見えてくることもはるはずだ。

 

結局センチメンタルになっていたんだとともう。

働き始めてブを書けなくなった

因果関係があるかは分からない。働き始めてからブログを書きたくなることが全く無くなってしまった。このブログの存在も忘れていたが、友人のブログを読んだら書きたくなった。

 

働き始めても本は読み続けられた。教養的なものに対する崇拝、焦りが消えていった。教養が無い自分に開き直るようになった。興味がある本を読むようになった。

仕事以外で技術をキャッチアップするエネルギーは最初は殆ど無かった。今はエネルギーが段々増えてきた。ただ技術に対する興味自体が減っていった。

人とコミュニケーションを取ることに疲れを感じづらくなった。これに関しては、筋肉のようだった。急にたくさん人と会い過ぎると疲れたりする。けれど慣れればあんまり疲れないし、自分の調子がわかるようになった。

 

ブログを無性に書きたくなることが本当に無くなった。人のブログを読むことも減った。昔は読むのが趣味みたいだった。ブログで寂しさを埋めていたのかもしれない。実際寂しさを感じづらくなった。寂しさってのは感じ方次第だった。寂しさを悪いものとか埋めなければならないものと思うことが減った。というか埋める方が疲れることもある。とか偉そうなこと言ってたけど、NetflixとYouTubeを見ている時間が増えただけだった。

 

自分が大した存在じゃ無いことに気づいた。そう思うと、やる前から善悪の二元論で語るのは良くない気がしてきた。自分如きがラベリングなんてできないからだ。とりあえず素直にやってみるの大事だった。

 

そう言うわけでエゴが減ってしまった。もしかしたらエゴで自分はブログを書いてたのかもしれない。だったらブログが書けないことも悲観する必要も無い気がしてきた。無いものは無いから。

 

できないことに対して諦めるようになった。長期的に見てできたらまあ良いかと感じるようになった。20代前半だと、常に時間がない感覚に苛まれてた。逆に今は時間が無限かのように感じている。年齢だけでこんなに感じ方が変わるものだろうか。未来の自分が何とかしてくれる気がしてて、結果怠惰になった。中東いたせいかもしれない。

というか焦ってても長続きしないことが分かってしまった。時間が解決することって案外多かった、って最近凄く感じる。

 

前より間違いなく焦るのが嫌になった。予定のために早めに家を出るみたいなことができるようになった。自分の、急いで走る能力に過信できなくなった。普通に疲れるのが嫌になった。

 

全体的に自分の能力に過信することが減ったと思う。それは良い傾向だった。理想の自分の能力と比べて落ち込むことが減ったのだ。と言うか随分無駄なことをしてたように思える。落ち込む方がエネルギーを消費していた。落ち込むコマンドを選択するデメリットに対して無頓着だったのだ。技を使うときの効果を全く見てなかった。効果って言わば自分の感覚値なんだけど、それをよく知ってる人って強いなと感じる。自分を操縦する戦略ゲームという感覚が最近になって分かってきた。

 

多分人生経験が豊富な人は、他の人よりこの効果を分析することに優れてるような気がする。何が自分にとって大したことなのか、大したことないのか、を理解してたりする。これはあくまでも自分にとって、の話。他人にとって、の部分を上手く理解していたら、人間のことをもっと良くわかる気がする。

 

他人にとって、の感覚を人から聞き出すのが案外難しいことがわかった。その人は、きっと自分を見てその感覚を伝えられる相手かどうか吟味するから。相手に伝わらないことをわざわざ一生懸命伝える人ってそんなにいない気がする。だから自分がその人にとって感覚を伝えられる人になるってことがミソだった。

 

最近自分はこれがコミュ力の正体なんじゃないかと思うときがある。適切な人から聞き出すのが本当に上手な人がいる。そういう人ってなんかどこでも馴染む。馴染むって本当に凄いことだと思う。

 

色んな環境に馴染む経験を積むほど、馴染む普遍性みたいなのを手に入れられる気がする。因みに馴染む普遍性が何を表すかは分からない。けど馴染む筋肉みたいなものな気がしていて鍛えておけば、色んな場所にすーって行ける気がする。人生楽しくなる秘訣なんじゃないかと思ってる。

馴染むには自然体が良いなあと最近思う。結果長く馴染める。あんまり急ぐことなかった。というか長く居たら結果的に馴染んでる気がする。鶏か卵かの議論だ。

 

 

AI時代にコンピュータだけの世界により閉じこもれなくなった気がする

どうもyapattaです。

今日はこの記事を読んだ後のお気持ち。

nowokay.hatenablog.com

 

人間がコーディングに関わる部分が相対的にどんどん減っていっているなあと最近強く思う。何ならメンテナンスが重要なコードならともかく、即時的なスクリプトだったりはAIに概要を書かせて、自分が軽く直すか、何なら直さなくて良い場合もある。ゼロから自分で書くよりよっぽど早く書けたりする。

大学で博士をやっている友人曰く、プロンプトと試行錯誤して取り敢えず動くコードを持っていく学生も増えたみたい。成長するには自分が説明できるコードだけを動かせと彼は言っているので大分立派だとは思うが。

 

そう考えると、過去自分が取り組んでいたものが無駄になっているような気もしてくる。自分が2020年あたりまで取り組んでいた競技プログラミングに関して見ても、生成AIに問題を解かせるユーザが増えて競技性が損なわれるみたいな話もある。レートの信頼性が落ちているとか。競技ってピンポイントである一部分*1を目的化するからパラダイムシフトと相性が悪いんだろうなあ。

atcoder.jp

一方で安心している部分として、コンピュータを使って何か実現する上で、プログラミングという入力が生成AIのプロンプトに変わったことで、入力するための鍛錬量が減ったという話なだけだろう。今までは入力に必要だった技能がショートカットされた感じだろうか。プロンプト入力がコーディングを抽象化した感じ。抽象化レイヤーで上手くいかなかったら、結局は一つ下のレイヤーを見ないといけないのなら、数は減ったとしても関わる機会は絶対に消えないだろう。

プログラミング言語自体芸術と捉えられる部分もあって*2、そこがより表出しづらくなることは残念だが、生成AIでどうしようもできない部分は結局芸術レベルまで技能を持っている人に任せるしかないところもあるので、特に心配は無さそうな気がしている。

同時にインプットがもっと重要になっていく気がして、コンピュータが実現可能なこと*3や背景の数学的知識はもっと大事になっていくだろう。生成AIの出力をわかりやすくすればするほど、専門的技能を持っていれば感じ取れるだろう細かい部分が切り落とされてしまう。また専門技能を身につける理由として、抽象的な問題に対して実現可能な折衷案を提案して作るみたいなのができることがあると思う。じゃあその実現可能な解を与えるには、結局コンピュータと試行錯誤した経験が役に立っているので、過去取り組んでいたことは役に立つと楽観視している。

何なら、抽象的な問題に対してコンピュータを使って実現可能な折衷案を提案して作るみたいなのをできるようにするのに、コンピュータ以外に必要なウェイトが大きくなっている気がする。言語化はまだ十分にできないんだけど、人間のことをもっと知るというか、カオスな体験から生還する経験というか、一周回って人間同士が気持ちよく仕事できれば良いような気がしてくる。課題がコンピュータの世界の中だけで解決することが殆ど無いからこそ、人間のことを知ることが役に立つような気がしている。コンピュータへの入力がより抽象化されてそれにかける時間が減るのなら、よりコンピュータだけの世界に逃げられなくなっているのかも。

 

ここからは余談。ここ数年のLLMの話のせいかそれだけでも無い気がするが、自分がより人間と関わる部分を仕事にしたいと最近一層思えてきた。昔はもっとコンピュータの世界に閉じることに関わりたかった。何なら潔癖すぎたぐらい。リアルの世界のアプリやサービスを見るとこれ世の中に必要なくね、とどこかしら思えてしまって、モチベーションが上がらないみたいなことが良く起きていた。自分から知ろうとしなかった部分もあるし、コンピュータの世界に閉じたことが聖域と思ってた。そういうこともあって自分が意味があると思えない労働に壁を作って労働に対してぶーぶー言っていた気がする。最近そういう拘りが小さくなってきて*4、とても生きやすくなった気もする。前ほどコンピュータに熱中することは無さそうだけど、何かそれも良いような気がしてくる。

またまた余談。生成AIが最近脳の負荷を落とすための外部思考機関となっている気がしてくる。ラフな情報を理解できるように、他と比較できるように精製するのってめちゃくちゃ疲れるから、それを代わりにやってもらって自分は確認するだけになると大分脳が長持ちする。脳の負荷減るなあと実感する。阿頼耶識システム type-eみたいな感じだわ。

 

*1:今回はアルゴリズムxプログラミングか?

*2:ガチでプログラミング言語の仕様に詳しい人とか、型パズルで永遠に遊べる人とかいる

*3:アルゴリズムを扱う計算理論とか、コンピュータ自体を設計するためのコンピュータアーキテクチャとか

*4:カタールオーストリアでの生活に感謝

カザフスタンのアクタウからヌクスへの寝台列車、そしてウルゲンチまでの旅行記

お久しぶりです。yapattaです。

無事(?)カタールでの留学を終えて念願の中東、旧ソ圏を旅してきた。マジでめちゃくちゃ楽しかったので、記事を書きます。

この記事で全ての国について書けるかわからないけどウズベキスタンが大好きだったので取り敢えず今回はウズベキスタンについて。

人が暖かくて、言語が通じて、食事が旨くて、物価が安かった。つまり自分にとって間違いなくウズベキスタンは最高だった。

 

旅程としては、アクタウ(Aktau)→ヌクス(Nukus)→ヒヴァ(Khiva)→ブハラ(Bukhara)→サマルカンド(Samarkand)→タシュケント(Tashkent)、という順で西から東へ攻めて行った。わかりにくいので今回の記事の移動はこんな感じ。

ウズベキスタンへの入国はカザフスタンからで、アクタウ(Aktau)からヌクスまでの寝台列車を使った。f:id:ziroppe:20241212010606j:image

アクタウ自体はカスピ海に隣接した港町で住宅地なんだけれど、ちょっと離れるとトリシュ(ボールの谷)やコカラ渓谷などの観光地が存在するみたい。自分は来る前に風邪を引いてしまいアクタウのホテルで寝込んでいた結果、カスピ海や集合住宅のソ連風のウォールペインティングを見るぐらいで終わってしまった。

自分はアゼルバイジャンのバクー空港からアクタウ空港まで飛行機で行った*1のだが、アクタウ空港はsimカードも売っていないような本当に何も無い空港だった。空港のインターネットも電話番号認証が必要で完全に詰んだと思っていた中、飛行機の機内で知り合ったカザフスタン留学中の中国人の方がSIMカードをくれた。まだ有効期間が残っているプリペイドsimカードを要らなくなった友人から貰ったみたい。マジで天使すぎる。いつか再び会ったらお礼を言いたい。因みに市街地まではバスで行くのが良さそう。100テンゲ(30円ほど)で済む。相も変わらぬ空港ではタクシーのあんちゃんたちがめちゃくちゃに勧誘してくるが、無視して良さそう。大体高い値段をふっかけてくる。

アクタウ市内に辿り着いたが、とにかく道路が広い。そして無限に公営住宅が広がっている。お洒落なモールもない。生活感が凄い。f:id:ziroppe:20241212010749j:imagef:id:ziroppe:20241212011002j:image

ホテルから10分ほどで行けるのでカスピ海を見に行ったら、(本物か偽物かは置いておいて)警官らしき人に付いてくるよう言われた。特に罪の意識も無かったので取り敢えず無視した。何も起きなかった。 f:id:ziroppe:20241212000056j:image

あと街並みがめちゃくちゃソ連のそれ。因みに大祖国戦争を褒めたたえる記念碑が異様に多い*2
f:id:ziroppe:20241212000101j:image市街地に物騒なロケットのモニュメントまで。f:id:ziroppe:20241212011524j:image

寝台列車へ話を戻そう。値段は35,284テンゲ(10,000円ほど)でこのサイトで購入できる。カザフ人の友人も良く使うみたいだし信頼できそう。因みに英語対応もできるし、決済ではGoogle Payも使えた。

tickets.kz

アクタウの隣町のマンギスタウ駅からヌクス駅まで21時間ほどかかった。夜の寝台列車ではКупеというちょっと良い席を予約した。部屋の中に二段ベッドが2つある。f:id:ziroppe:20241212001144j:image

f:id:ziroppe:20241212012222j:imageウズベク人のおじさんと相部屋になって、色々お喋りをした。カザフスタンで出稼ぎしている話とか、ヒヴァの家族に会いに戻っている話とか色々。彼がめちゃくちゃ優しくて、持ってきたお菓子やカップラーメンを分けてくれて、一緒にお茶会をしていた。f:id:ziroppe:20241212001333j:image

彼から貰ったラーメンで気持ちが温まった。f:id:ziroppe:20241212001220j:image

彼はヌクスの前のQońiratという駅で降りたが、別れた後も無事日本に帰れたかなどのメッセージしてくれた。

ところで国境を越えるのは大変。深夜三時にカザフスタンの国境でパスポートコントロールと荷物検査があるため起こされる。眠すぎる。検査のお兄さんのところまで行く。多分軍人。パスポートの髪が金髪であることを指摘されたが、若気の至りだったと言ったら何とかなった。その後の荷物検査は結構適当。検査員が部屋に入る。ただ中身まで見てこない。麻薬探査犬のチェックがある。一人一人の荷物とパスポートをチェックするからめちゃくちゃに時間がかかる。四時半頃やっと出発。少し寝る。

5:45頃ウズベキスタンの国境に入って、またまたパスポートコントロール。殆ど眠れなかった。マジで眠過ぎる。6:30頃にカラカルパクスタン共和国*3から入国したというスタンプをついに貰う。嬉しすぎるね。その後永遠に電車が動くのを待つことに。。。

朝7:30になったら、マントウやピロシキを売るおばちゃんが電車に入って営業を始めてくる。外は真っ暗なのに元気だわ。昭和の電車ではそういう景色が見れたのかな?そして7:45にやっと出発。とりあえず眠すぎた。

10:40ほど、目が覚める。結局あまり眠れなかった。相変わらず(非公式の)車内販売はめちゃくちゃに充実している *4。シャオルマ*5を売っているおばちゃんまで現れる。

f:id:ziroppe:20241212011723j:image因みに給湯器も付いておりお湯が飲み放題。非公式の社内販売があったり、ティーポットとカップも部屋に付いているし何かと快適。シーツも与えられるし、ベットも背中が痛くなるようなものではなくそこそこクッションが入っててフカフカしている。 ただトイレにはトイレットペーパーが備え付けられてなかったりする。快適さの感覚が良くわからない。

非公式をできる懐の深さ(自由さ)が旧ソ連圏に来たことを痛感させられる。生活自体は別に便利でもなければ娯楽もないけど、市井の人々はめちゃくちゃに助けてくれるし、こっちも気持ちがオープンになる。

カラカルパクスタンはマジで砂漠と草原が永遠と広がっている。だが不思議と飽きない。

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16時頃に無事ヌクスに着いた。ここは何を隠そうウズベキスタン共和国内の自治共和国カラカルパクスタン共和国の首都なのである!(因みに上がウズベキスタン共和国の国旗で、下がカラカルパクスタン共和国の国旗)f:id:ziroppe:20241212004724j:imageスタン好きなら是非足を踏み入れたい場所である。因みにカタール大学の寮で知り合ったカラカルパク人の友人曰く、ヌクスに居るならばサヴィツキー美術館は絶対行った方が良いとのこと*6。しかし残念ながら、自分が居た日は月曜だったので美術館は閉まっていた。外観だけ写真を撮ることに。カラカルバク人の民族衣装を着ている人たちがポーズを取ってくれた笑 因みに彼らウズベク人よりも雰囲気日本人に近い。キルギス顔に似ているのかしら。f:id:ziroppe:20241212001519j:image

アラル海の干上がった場所の船の墓場ムイナクは時間が無くて観光できなかった。というのもこの後夜にはウルゲンチに到着している必要があったからだ。そのためヌクスを少し散歩してお土産を買ったら、駅のターミナルに戻ることに。ここでウルゲンチ行きのシェアタクシーを探す。しかしやはり難易度が高い。タクシーの運転手皆が殺到して高い値段を伝えてくるし、他に人が集まらないからお前は3人分の値段を払えとか。めちゃくちゃである。他の乗客を探すことに。しかし見つからない。というのももう夜19時に近づいており外も真っ暗。10分ほど経ってやっと他にも乗客が見つかってそれで出発。300,000スム(3200円)ほど払うことに。最初に600,000スム払えって言ったのエグすぎる。他のソースを見るに、昼間で人数が増えるともっと安くできたと思う。ただウルゲンチまでは3時間弱かかるので早めに出発できてよかった。因みに一緒に乗ったのはシベリアのハカス共和国の方。知らない共和国がまだいっぱいある。。。

とりあえず出発と思ったら、このタクシーの運転手が中々に厄介である。ガソリンスタンドに行くのはいいとして、運転途中にドアを開けて痰や口に含むタバコを吐き出したり、急に暇になってお前のメガネと交換しようぜと言ってメガネを外して俺のメガネをかけ始めた。そして、見えね〜、とか言っている。もうめちゃくちゃに危なっかしい。更に道路は常にガタガタで全く眠れやしない。マリオカートのような臨場感である。

9:30頃にやっとホテルに着いてなんとか休むことに。やはりホテルは落ち着く。ウルゲンチ駅近くの高め(一泊5000円)のにしたが、部屋が綺麗かつホテルの隣に両替所があったり朝食は美味しかったりで最高だった。f:id:ziroppe:20241212012534j:image翌日ヒヴァ観光しつつさらに夜ウルゲンチ駅からブハラまで電車に乗る必要があったのでスケジュールが心配で駅チカにしたが、タクシーを使う分には特に駅チカじゃなくても問題が無さそうだった。そして駅チカじゃない方が安い。さらに駅の近くに特に見るものが無かった。

ウルゲンチ駅前の道路がびっくりするほど静か。f:id:ziroppe:20241212005428j:image ロシア語でターミナル駅のことをвокзалと書くからvokzalはその名残っぽい。f:id:ziroppe:20241212010258j:image

 

そのうちウルゲンチ、ヒヴァ以降の記事も書く。続く。。。

*1:カスピ海を通じて船で入国できるかはわからない。ただジョージアからアゼルバイジャンは今陸路で入国できなくて、国境が厳しくなっているとは現地の人から聞いた。それもあって自分は飛行機で行くことにした。

*2:他の旧ソ連諸国に比べると取り壊されてないのが印象的だった

*3:ウズベキスタン共和国の西側の自治共和国。自分はカラカルパクスタンからウズベキスタンに入国した

*4:パン、コーラ、サモサ、ペリメニ、臭い干物が売ってたり、通貨両替してくれたりと何でも揃う。因みに両替のレートは良くないが、ヌクス駅で降りた後マルシュルートカに乗るにも多少の現金が必要なので両替はオススメする。

*5:中央アジア圏のBBQ

*6:彼曰く世界ランキング2位の美術館とのことだが、調べてみると世界二位なのはロシアアヴァンギャルド作品数においてだった。一位はサンクトペテルブルクの国立ロシア美術館。

カタールで感じた故郷の味、Hoi An Pho Authentic Vietnamese Cuisine

お久しぶりです。yapattaです。本日、韓国人の友人とベトナムレストラン「Hoi An Pho Authentic Vietnamese Cuisine」に行ったところ、そこの料理が美味しすぎたので共有する。カタール旅行に来た全日本人にオススメできる味。何なら日本人以外にもおすすめする。これマジで。


因みに住所はここ。最寄り駅はAl Sadd。メトロのゴールドラインが通ってる。

 

f:id:ziroppe:20241011231007j:image外観はこんな感じ、まさにおーせんてぃっくべとなみーずれすとらん


事の発端は、寮の韓国人の友人のルームメイトであるベトナム人の子がカタールに唯一太鼓判を押すベトナム料理屋さんがあると言ってたことだ。ネイティブの人間がここまで言う、かつ自分は東アジアの人達の味覚を絶対的に信頼している*1ため、これは行くしかなかった。本日遂に友人と都合が合ったので一緒に行くことに。

f:id:ziroppe:20241011231100j:image内装はこんな感じ


食べ終わった後の感想だが、旨すぎる。最初に揚げチキンも食べたがクリスピーさが最高。そしてサテトム*2をかけるとエビ風味のさっぱりした辛さが加わって更に箸が進む。不思議と全然チキンが油っぽくない。

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次に、牛肉のフォーを実食。魚介と牛肉から出汁を取った透き通るスープ。一杯飲んで確信した、塩味とダシが完全に調和している。さらに麺の茹で具合がちょうど良い。エセラーメン料理店のような完全に茹で上がった麺じゃない。自分は日本では月に1回以上はベトナムレストランに行くぐらいベトナム料理が好きだが、日本で食べた味と同等の高いクオリティ。途中でミントやライムを加えてさっぱりさせるのも良いし、サテトムを加えて味変すると辛みが増して尚良い。

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f:id:ziroppe:20241011231620j:image 旨すぎてついフォーのスープを完飲してしまった*3


最後にベトナムコーヒーを注文。甘くて濃い練乳と濃いコーヒーと混ぜ合わせたもので、徐々に氷を溶かしていくことで薄くなり味変ができる。この強い風味が癖になる。フォーで辛くなった口の中をコーヒーの甘さが優しく包み込んでくれる。永遠に飲めてしまう。

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あっと言う間に時間が過ぎてしまった。圧倒的だった。ここまで美味しいと思えたのは久しぶりだった。この満足感で値段も3500円ほど*4なのはポイントが高い*5。毎週行っても良いぐらい。お金が許したら毎日でも行きたい。。。


カタールに在住してる方も、旅行でカタールに来た方も、全員にオススメできる。高いレベルで値段と美味しさの基準を満たしている。まさかベトナムレストランで故郷を感じるとは。。。夢にも思わなかった。。。

*1:オーストリアで食べたフォーとグリーンカレーは忘れられないぐらい美味しかった。因みに次に信頼してる食べ物はケバブとシャワルマ

*2:エビとレモングラス風味のベトナム風ラー油

*3:さっぱりしててかつしょっぱくなさすぎるので飲めてしまう

*4:値段の内訳は牛肉のフォーが53QR、クリスピーチキン(salted popcorn chicken)が32QR(僕らは折半した)、ベトナムコーヒーが20QR

*5:カタールのガチ日本料理屋(morimotoとか)は平気で10,000円超える。。。

カタール生活3週間経過

お久しぶりです。カタール生活がおよそ3週間経ったのでざっくり総評。トビタテの同期の人達がブログを上げてるのを見かけるし、自分も折角なので上げる。

 

主にやってたことは、生活に順応すること、受け入れ先を変更したこと、そして剣道。

 

生活に順応することが大変なのは言うまでもない。宗教、食事から風習まで何かしら違う訳だ。世俗国家で育った甘ちゃんがイスラム教国家で生活することは生易しくない。

敷居を上げてみたがそこまで大変というわけでもない。食事の明確な違いは、豚肉が食べれないこと、お酒が飲めないこと*1。制限はあるが食事は美味しい。昔オーストリアに住んでたが、オーストリアの食事の100倍は美味しいと思う。自分はカタール大学の男子寮に住んでおり、三食提供されるがどれも美味しい。3週間住んでいて日本食が恋しくならないぐらいには美味しい。寮の食事の一番良いところは、ほぼ毎日米を選べることだ。この国にインド系の出稼ぎ、学生が多いからであろうか?スパイスで炊いた米とか、ビリヤニとか結構いろんな米が出てくる。日本健男児たるもの、米無しでエネルギーが湧き出ない。次外国に住むのなら間違いなく炊飯器を持っていって毎日米を炊く。それか米料理を提供する寮に住む。

因みに日本食レストランもあり、ラーメンを一度食べてみたが何かが違かった *2。スープに豚が入ってないせいか、パンチが足りない。友人に鶏白湯のスープを貰ったが、もっと煮込んで濃厚にして良いと思う。麺も細くて軟らかすぎる。ただ不思議と繁盛していた。こういう味が現地の人の好みなのかな。

やはり自分が考えた最強のおーせんてぃっくじゃぱにーずらーめんを自作するしかないのだろうか。ただ寮の食事が充分に美味しいのと、あまり寮で自炊することが勧められてないためラーメンを作れなさそう。誰かの家に上がらせてもらって、ラーメンを作る機会を虎視眈々と狙っている。

 

食事以外もムスリムに最適化された社会で、お祈りの時間に謎のサイレンが鳴るし、体感寮の人間95パー以上がムスリムだし、皆がムスリムを勧めてきたりする。一度観光がてらイスラムカルチャーセンター*3に行ってみたところ、めちゃくちゃムスリムの良さをエチオピア人の受付のおじさんに力説された。何なら改宗をせがまれた。そこで超高画質のムスリム歴史紹介のVR動画を見せられたり、宗教関連本を無料でめちゃくちゃ貰ったり。やる気が違いすぎる。因みにVR動画の画質とサウンドのクオリティが高すぎてたまげる。メッカに行ったことないけど、マジで自分がメッカにいると錯覚した。そして謎の360度サウンド

他の風習として、婚前交渉がNGとか、外で男女がイチャイチャできないとか色々イスラムのルールもあるけど、まあ本音と建前みたいなのはどこの国にもあるみたい。。あまり波風立てないのが良いのは言うまでもない。大学では女性の日と男性の日で分かれていて最初は少し戸惑った。授業も男女のセクションが明確に分かれているみたい。

後は何と言っても格差がエグい。カタール人は皆バブリーだ。ベンツを乗り回してショッピングしてるイメージ。中には趣味で6台近くガレージに高級車を持っている人も。逆に南アジアやアフリカの移民の生活はキツそうだ。例えばシャトルバスのドライバーの話を聞くに月4万も貰えないとか。それでも税金がかからないからこっちで働く方がマシなのだと。完全に足下を見られている。

まあ以上がざっくりとした生活の所感。

 

次に過去3週間の一番のイベント、受入先を変更したことだ。元々某企業で働いていたのだが、1週間働いてジョブオファーと実際の仕事内容が全く乖離していることに気づいた。オファーにはソフトウェアエンジニアリングができると書かれていたが、15年前のソフトウェアで社の誰も見ないような資料を作成させられていた。上司に聞いたところ会社にソフトウェアエンジニアもデータアナリストも居ないと言われた。ひええ、話が全く違う。。。良い点を挙げると職場は超ホワイト*4で8:00-14:00の労働で済んだが、流石に窓際社員をやるためにカタールに来たわけではない!ということで、利用したインターンシップ団体に受入先変更の相談した*5

その結果、代わりにカタール大学でのリサーチのインターンシップをさせて貰えることになった。当初の留学計画が回り回って実現したため非常に嬉しかった。テーマ決めに関しても、自身が過去に執筆した国際会議の論文を元にカタール大学の教授がテーマを斡旋してくれた。過去に頑張った研究が役に立つとは。。。人生何があるか分からないものだ。

ということで、無事窓際社員を卒業して何とか研究活動に取り組めるようになった。昔よりこういう交渉が得意になった気がする。というか前より取り乱さなくなった。人間の成長というものか。

 

次に剣道について。ドーハの剣道クラブで週2で稽古をさせてもらっている。ヨーロッパ出身の方とエジプトの方が多い。インターナショナルな雰囲気で居心地が良い。六段の先生が普段稽古を付けているが、ある日彼が来れなくて代わりに自分が皆の稽古を見るようになった。英語で剣道のアドバイスをするのは難しいが、何とか乗り切れた。自信を持ってゆっくり説明すれば何とかなるものだ。最近ポルトガル人の方と地稽古をするのが楽しい。実力が伯仲している。

こっちに来て歩かない生活*6をし過ぎて体力が落ちた*7。体力維持のため、最近は夜に散歩するよう心掛けている。昼間は灼熱でとても外を歩けないが、夜だと気温35℃ぐらいで日光もないので何とか歩けている。何も心配することなく散歩できる環境って幸せだったんだな。。。

 

まあこんな感じで何とかカタールで生き延びている。インターンは10月末までなのでもう1/3のが終わった、早すぎ。

ところで外国あるあるなのか、生き残ることに集中するこの感じ結構好き。日本に居るとき、自分の思い通りになることが多いため無理をしたり、ギリギリで頑張ろうとし過ぎてしまう。こっちだと生き残ることに焦点を当ててるから良い感じにストッパーがかかる。自然と生活のバランスが良くなる。それもあって社交性が上がる。日本語という言語のせいか自分の性格からか言葉の裏を読み過ぎたり、変に気遣いしてしまう。一方でそこまでの英語力が自分に無いこともあり、あまりまどろっこしく考えないで結果的にノリがよくなってる。

 

*1:ライセンスが必要。もしくは専用のバーに行くと飲める。ただ高い。happy hour等のディスカウントが無いと一杯(500ml)2000円超えるのでは?

*2:自分が行ったのはninja ramenという店

*3:Abdullah Bin Zaid Al Mahmoud Islamic Cultural Center (Fanar Masjid) مركز الشيخ عبد الله بن زيد ال محمود الثقافي الإسلاميというところ

*4:そもそも自分の仕事が期待されていない

*5:この選択を取る上で大学のアラビア語の先生にめちゃくちゃお世話になった。この場を借りてお礼申し上げます

*6:外が暑すぎる。昼間は40℃超え。そしてこの国では基本的に人類は歩かない。道路も歩くように整備されてない場所が多い。

*7:稽古中マジですぐに呼吸が辛くなる

土地の隙間について

最近東京の街を散歩していると、土地と土地(家と家?)の隙間が異様に狭かったり、それぞれが誰かの土地だったり、窮屈に感じることがある。全てに目的が明確に記されていないといけないような気になってくる。

 

理由は、何かと便利な土地だからか、もしくは土地の価値が高いからか分からないけど、誰かが所有して利用したくなるんだと思う。一方で自分が田舎出身だからなのか(?)、何の目的か良くわからない土地が無いとたまに息が苦しくなったりする。

 

それが理由なのか、自分の憩いの場所が公園だったり川辺だったりする。夏に散歩したり自転車を漕いでると、良くわからないラップをスピーカーで爆音に流したり、ボクシングをしだしたり、バドミントンしてたり、トランペットを吹いていたり、思い思いのことをやってる人たちを見ると安心する。

 

土地を自分に照らし合わせているのかな。自分という存在が一つの目的、役割に固定されないってのは何か良い。ちゃんとお金を貰うためには、毎日自分がやることを固定したり専門性を高める必要があるんだけれど、それをやり過ぎると何でもかんでも意味を求めてしまうような気がする。今はこれをやらないといけない、将来のためにはこれをやらないといけない、と。そうなると湧き出てくる雑念に蓋を閉めないといけなくなって窮屈になるし*1、役割に合った何かをやってないと変に自分を責めてしまいそうになる。

 

適当にのんびりする(そして色んな世界を見る)ためにモラトリアムを多めに過ごしていたが、気づいたらモラトリアム中にも自分の役割を見出すようになりつつある。当たり前だ!修士ってのはモラトリアムと言っても社会的にはより専門性を磨くためのモラトリアムだ。目的や役割が固定化されやすい。ただそれでも学生が楽なのは、学生の最低限があまりキツくないことだ。時間がめちゃくちゃ取られる訳でも無ければ*2、最終的に卒業さえすれば*3、学生の本分を果たしたと言える。その中でだったら、多少社会的な立場と違うことをやっても許されるという暗黙の了解があるようだ。

 

まだ精神的なモラトリアムを謳歌できる立場だし、何なら自分の役割でいっぱいいっぱいになったときはまたモラトリアム的な生活に戻るのかもしれない。

 

ああ、好きなときにコーディングして、ラーメンを作って人に食べて貰って、良くわからない哲学の本を読んだり映画を見てうだうだ議論して、スマブラの結果でジュースやアイスを賭けて、思い出したかのように急にギターをかき鳴らすような生活が愛おしいのだ。。。

 

続く。。。

*1:雑念は本業に対しては邪魔な物なのだろう

*2:分野による。法科大学院などの資格のための大学院では、目標が明確で目標もキツいため感覚的にモラトリアムになりにくい

*3:何なら卒業しなくてもその時学生という立場を持っていれば充分儲けものだろう