なぜ働いていると本が読めなくなるのか書評

どうもやぱったーです。

 

最近気になっていた新書「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を読了した。

最後の学生の年ということもあるのと、結構話題になってた新書(発売日は4/17)だったので。

 

結構さらっと読めた。もしかしたら著者が読めるように意識的にノイズを減らしているのか?けど、労働している者からすれば充分ノイズになるような内容だった気もするが。。。

ある一つのコンテクスト(今回は仕事)に適応(没頭)する必要がある場合、他のコンテクストへ頭を使うエネルギーが残ってないため、ノイズとなる情報を頭に取り入れるエネルギーが残らない。その結果本を読むことができないという話だった。それへの解決策として、そうなってしまう自分の内面を意識したり、仕事などのある一つの物事への過度な没頭を防ぐような社会の仕組みを作っていけると良いよね!ってことを著者は述べていた。労働史観の部分も読み応えがあった。時代時代でそれぞれの階級で読書する理由が違うというのも興味深かった。労働に関しては昔読んだ 日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学 (講談社現代新書) で日本特異の労働形態について更に深掘りできると思う。

 

これ以降は自分の経験と照らし合わせてお気持ちを書いていく。

実際、2000年以降新自由主義の台頭以降、好きなことを仕事にして自己実現をするという価値観が一般的になった。自分が中学生の頃は、本屋に行くとそれこそホリエモンだったりの仕事における自己実現のための自己啓発本ブームだった。自分はバクマン。*1 というマンガに魅了されて、好きなことで頑張るには何か他のことを犠牲にしてそれに熱中して栄光を掴むみたいな価値観を当たり前のように受け入れてた気もする。好きなことを仕事にしてそれに熱中するのは格好良いと信じていた。

ただ最近、それに熱中するが故に頭がいっぱいいっぱいになっちゃって、周りのことが見えてなくなったり、独り善がりになってしまうこともある気がしている。他にもそのことに熱中しすぎると、自分の価値が熱中していることに対する成果だと勘違いし始める。上手くいっているときは良いのだが、いざ悪くなると修正することが難しくなってしまう。気も滅入ってしまうし、ある一つのことばかり取り組んでいるとそれが上手くいかないとき、気分転換しづらい。

実際そんなときは、取り組んでいること以外がノイズとなってしまい頭に響かなくなってしまう。

 

自分ではそれを解消する方法として運動や銭湯が当てはまる。ゲームは遊ぶと余計疲れちゃうし、身体がガチガチになってしまう気がしている。それよりは、そこそこ時間をかける有酸素運動だったりお湯に長く浸かると、ずっと取り組んでいることがどうでも良いぐらいに頭がぽわーっとする。

そのぽわーが大事な気がする。気分がリセットされた状態で物事へ取り組める気がしている。別のことへのやる気がみなぎるときもある。

あとは料理なんかも良い。自分の場合作って食べるだけで楽しいし、調味料をスーパーで眺めるのも楽しい。

 

意識的に日常の中でノイズたるもののバランスを維持しながら、一つのコンテクストへの没頭を防いでみようと思う。気が滅入っているときはどうしても他のことが考えられるエネルギーも無くなるから、エネルギーが無くてもできることから取り組んでみても良いと思う。

ただ勿論、ストレスがかかってノイズを受け入れられない場合もある。そんなときは時間が解決してくれるのを手かもしれなもしれない。キャパがキツくなることとキャパを理解することと生活に慣れることがバランス良くやってくる。

 

 

 

 



*1:主人公たちが漫画家を目指して夢を叶えていく過程を綴ったお話。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%80%82