取り組む対象について意識的にゆっくり考えるのが大事な気がする

なんというか久しぶりのお気持ち記事。

そういえば最近セキュリティキャンプというものにチュータとして参加して若い将来有望な子たちを無限に見てきました。 3年前に参加したときのワクワク感(オンラインだったんだけど)を思い出したと同時に、前より当時の状況を俯瞰して見れていて色々気づくことがあったので、せっかくだし当時の自分宛てにお気持ちでも生成しようと思った次第です。

yapatta.hatenablog.com


当時の自分のスキルセットとしては、セキュリティについてはあまり詳しくないが、競プロやウェブ、インフラ周りが少し他の人よりはできたみたいな感じでした。興味がある分野としては何となく計算理論がありましたが、別にオリジナルで発表できるほど黙々と長い間取り組んでいたわけでもありませんでした。何となく多くの人がやっていそうな分野をそこそこやって程よい成果を挙げるみたいなコスパ重視で取り組んでいました。実績としてわかりやすかったし、それで承認欲求を得ていました。

そんな感じで何かある特定の分野についてめちゃくちゃ詳しいというわけではなく、また未踏に参加している人のように自力でやりたいことを明確に描けるわけではなく、何となく他者の価値観に良くも悪くも影響されるようなフレッシュな人間だったわけであります。

そんな自分に何かしらの劣等感が無いといったら嘘になります。セキュリティキャンプに参加したとき、自分でやりたいテーマを明確に持っていて継続的に取り組んでいる人たちを見て強い憧れを持ちました。もうテンションがハイになっていました。

そしてそんな人たちみたいになりたいがために、彼らがやっている分野に安易にとびついてしまいました(そしてできもしないのに完璧に理解しようとしてしまいました)。充分な時間もかけられなかったし途中で面倒くさくなって、最低限の知識は身に付いたかも怪しく挫折してしまいました。何者にもなれなかったなあ〜、強強への道は遥か遠くだなあみたいなことを思い、再び劣等感を抱きました。


ここでの教訓は、一時的なハイな感情に揺らされ過ぎてはいけないということでした。 当時の自分は刺激中毒みたいな状況に陥ってしまっていました。 2020年あたりはコロナウイルスへの自粛期間ということもあり、大学に通うことも殆ど無く関わる人も非常に限られており刺激が少なかったため、オンラインでの知らない人達と関わったり何かのイベントで承認欲求が満たされる機会というのは垂涎の的だったのです。

勿論多くのイベントに参加して色んな人と交流をしたり自分が知らない新しい知見を手に入れることはめちゃくちゃ良いことです。 ただ安易に取り組む課題を追加したりだったり、完璧に理解しようとはせず、一度ゆっくり考えて自分が長期的に目指すことに上手に取り込んでいけたらよかった気がしています。 一度深呼吸して、どこが自分の役に立っているんだっけ?どの部分だけ最低限理解していれば良いんだっけ?ってのを取捨選択してもう一度考えられたら良い気がしています。

それが結果的に自分でやりたいテーマを持つことにも繋がるし、じっくりブレずに継続的に取り組むことにも繋がるような気がしているのです。


まとめとして、何か刺激を得たときに安易に飛びついてそれを完璧にやろうとし過ぎず、一度立ち止まって自分なりに取り込むものを取捨選択しながら自分の軸に追加していけたらなあと思っています。 今の自分(特に研究において)への自戒も含めて文章を締めようと思います。