最近読んだ本(2021年9月以前)

どうもyapattaです。

最近読んだ本の更新が途切れていたし、最近何を読んでいたかもよくわからなくなっていたから振り返ってみた。

6月は目の調子が悪かったので5月か7月以降に読んだ本が多い気がする。

感想が湧き出てくる本についてレビューするぐらいが読了本の紹介として良い気がしてきた。

在日ウイグル人が明かす ウイグル・ジェノサイド ―東トルキスタンの真実

東トルキスタンの歴史、ウイグル強制収容所における実態だったりがメインの内容。

中国共産党は植民地をあたかも自治区のように見せて、国際的な目を盗んで徐々に自由や権利を奪うのが本当に上手だった。

この本を友人と読んで、全体的に主張が強く事実に加えて感情的部分が多いよねという感想に至ったのだが、よく考えたら民族、同胞の存続が危ぶまれる時期こそお気持ちが重要になってくる気がしてきた。

関心を抱いてもらう、認知してもらうには、やはり激しく感情を揺さぶらないといけない。自分ごとのように捉えて初めて関心を抱くし、激しい感情を抱くことがもっと知ろうとするトリガーになるだろう。

関心を抱く人が増えれば、それは社会課題として認知されるし、意見を戦わせて解決策を見つけ出して最終的に解決されるかもしれない。

だから中立という言葉を装っての無関心な姿勢、とても気持ち悪いと感じる。

確かに、お気持ちを捨象して事実、結果を述べることは、一部では(例えば理工学的には)正しい姿勢だと思う。ただ、その姿勢で人文系の話題に持っていくとどうも交わらない気がしている。

社会課題において一意に正しいことなど存在しないし、自分が考える正しさを重視することが求められる、気がする。ただ同時に正しさを考えること、これ非常に難しい、簡単に決められない、永遠に悩み続ける気がする。

学校、行かなきゃいけないの?: これからの不登校ガイド (14歳の世渡り術)

6月大学不登校になったとき読んでいた。

不登校だったりフリースクールへの社会評価がかつてより全然高くなっているんだな。

小学校の3年あたり学校に行っても孤独で楽しくなく通いたくなかったけど当時は親にも絶対言えなかったし、ここで休んだら負けだと思って強がって通っていた自分を思い出した。

子供の引き籠もるという選択が他の大勢達が乗っているレールから外れることになるからこそ、親がその選択肢を取っても良いんだよと肯定してあげることが大事なんだろうな(ただこれは親視点的にはめちゃくちゃ難しい気がする)。

レールから外れることも案外悪いことではない気がしていて自分の気持ちに嘘をつかない経験を持っていれば、その価値観が嫌だったときに疑問を飲みこまずに無理して頑張ることもなくなるだろう。

それぞれが生きやすいぐらいに溜め込まずに自己主張できる世界が広がれば良いな。

ポストコロナ期を生きるきみたちへ

中高生向けに書かれた本だけど大学生が読んでも面白い至言が数多く語られている。

個人的に興味深かったのは、後藤正文の生活の中の芸術を取り戻そうというお話。

芸術を特別な人達のものにしようとして、気づいたら生活の中から芸術が無くなっていってしまったが、もっと芸術は身近なものでいいし自分が上手であれ下手であれ、うまく創ろうと努力して創作してそれが芸術だと信じたら芸術になる。

そんなことを考えるうちに下手でもいいから自分もボーカロイドで音楽作ってみたいなと思い始めて初音ミクNTを買ってしまった。

後藤正文アジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)のボーカル、ギター担当。因みにアジカンのCDジャケットを手掛けている中村佑介の絵が非常に好きだ(布教)。夜は短し歩けよ乙女のイラスト最高なんだ。

ブルーピリオド

ネタバレにならないように。ストーリーがあるものは新鮮さが命でもある。

鮎川龍二が本当に良い、ダントツで良い。受験と家庭環境に消耗している中で、彼の内面が激しく描かれている時期が一番好きだった。

「どうみられてもいいと思えないなら、まだ死んじゃダメだよ」

因みに10月からアニメ化されるので(Netflixでは既に公開されている)、東京リベンジャーズのあの某シーンで不完全燃焼になった人たちは是非見て欲しい。

blue-period.jp

いまさら聞けない ビットコインブロックチェーン

分散システム系の研究室に入ったからブロックチェーン技術を研究テーマにするのありだなと思っていた。さらに当時、ビットコインの価格が上がっていて(このあと中国当局の規制で大暴落するのはお約束)、この流れに自分も便乗するかぐらいの気持ちだった。

そしてブロックチェーンを研究している友人に、この本を入門書としてオススメされて読んでみた(購入当時(4月頃)、Prime Readingで追加費用なしで読めたというのもでかかったw)。

下のMastering Bitcoinから技術的な内容を捨象して一般の方向けにも非常にわかりやすく、読みやすくまとめてあった気がする。

Mastering Bitcoin(邦題: ビットコインブロックチェーン)

上の本を読み切ったのでビットコイン関連本の中でも名著として名高いこの本を読んでみることにした。自分で読み切れる自信がなかったからサークルで募集をかけてみたら案外多くの方々が興味を持ってくれてありがたかった。

ビットコインのフルノードを実際のPCにインストールして(因みにTestnetではなくMainnetのフルノードを構築すると容量的な死を意味する...)、実際に動作確認をできたり、軽いソースコードから実装の詳細をイメージできたりと体験しながら学べる。

暗号、トランザクションに重点を置いていて、P2Pネットワークにはあまり詳しく触れていない印象だった。てかそもそもビットコインの中心が暗号的技術であってP2Pネットワークは副次的な技術であるような気がしてきた。公開鍵暗号やハッシュの非対称性のおかげでその通貨を使える人がセキュアに一意に定まる、取引の公正性を検証できるってのは面白い試みだ。

因みにトランザクション内のScript言語がチューリング完全な言語だったら超巨大な分散型コンピューティングみたなのできるやん!と思って、単一の記録台帳をチューリング完全言語で扱えるEtheriumに興味を持った。

と同時に、パブリックなブロックチェーンでできること(現実に利用されていること)が取引ぐらいしか無さそうだし、更にユーザの一般的な用途が投機目的になっている現状を見て幻滅してしまいそこまで掘り下げるのも違うなと思ってしまった。

ただ自分はSiaみたいな分散ストレージには可能性を見出している。

Winny 天才プログラマー金子勇との7年半

積読を消化した。自分が関わっている分野で金子さん自体レジェントのような存在だから、もうこれは読むしかねえ!

これはP2P匿名ファイル共有ソフトWinny」開発者として著作権侵害行為幇助の疑いで金子勇が逮捕、起訴され、その後無罪判決が確定するまでの7年半を弁護団の事務局長を務めた壇俊光が小説としてまとめたものである。

高等裁判所で無罪を勝ち取ったとき壇さんの、

でも、すごいことなんだよ。自分の信じるもののために情熱を注げたってことは......。

という言葉、胸に残る。実際、誤っている、無理だとの讒言も多かった、それでも自分の(が関わった)事件、正しさを信じて戦い抜き成し遂げたことに勇気を貰った。

実はWinnyについて法学部の法科大学院に進む友人と話して、最新テクノロジーを用いた刑事裁判ってのは前例がないし検察も技術に疎いししょうがないのかな、と聞いて悲しくなった。

しょうがないで済ませたくないな。

Winnyで無罪が確定するまで7年半かかったわけだが、その7年半でどこまで日本の技術発展に貢献できたかと思うと、一介のプログラマとしてやるせない気持ちでいっぱいになる。ただ、無罪確定してP2P共有ソフトの著作権幇助の前例を作らなかっただけ良かったのかなとも思うところがある(これは結果論だが)。

ただしい人類滅亡計画 反出生主義をめぐる物語

魔王が人類を滅亡させるか決めるために、主義主張が違う10人の人間が議論して人類は滅亡すべきか決めさせられるお話。

半出生主義、今の親ガチャ流行と非常に親和性?がある気がしている。富が固定化され、人生の予測不可能性が減って、どのパラメータが高いと現実社会で高い地位につけるかが非常あからさまになってしまい自分の個性、多様性を偶然自分だけが持っている大切なものと認められることが難しくなっているのかも、一直線の軸の上で欠点、劣等として捉えちゃうような。考えすぎてもループに陥るし自分ではどうしようもないものだから、まあ自分が持っているもので目の前のことをそれなりに頑張るかって思えたら良いのだろうか(ただ都心の教育の方が明らかに資本主義パラメータにうまく合わせてるよなとか考えるときもあるが、パラメータに適合して教育することが子供にとって良いことかはまた別だろう)。

youtu.be

この歌でも聞いて頑張りたい


読んでいて印象に残った箇所について取り留めもなく書いていく。

他人に苦痛を与えるべきでない道徳を起点に半出生主義の議論が進むが、そもそも道徳はただのルールでしかない、指針でしかないという観点が面白い。道徳を完全に守る必要はなくあくまでも社会維持のための道具であり、道徳そのものではなくどう道徳を守るか、定めるか、なぜその道徳(ルール)が必要なのかを議論できることが大切な気がしている。

幸福と不幸は非対称だし、どうやら出生のような取り返しのつかない罪の場合、もはや対称的な償いをしたところで罪が消えることはない。むしろ、罪というのはその人の認知によるものが大きいから、出生してよかったと本心から思わせることでしか罪滅ぼしにならないって発想すごく好きだ。個人の認知である以上、その人が内面をどうかしていくしかないから手助けはできてもこう解釈しろって強要できないんだよな、その人を否定することにつながるかもしれない。

物語シリーズ忍野メメの言葉

人は一人で勝手に助かるだけ。 誰かが誰かを助けることなどできない。

を思い出してしまった。

読んでいくうちに自身が歴史好きである理由の一つをうまく言語化できた気がする。未来になにが起こるかわからないから、過去の方が解釈しがいがあって実は自由だと考える発想。自分は歴史の中に人間の決断、ドラマを見ることが好きだが、同時にこれらは終わったことで解釈が自由だから歴史が好きな理由としてあった気がする。一方、未来は自由に選べると言っても現在の自分の思考、社会関係を引きづっているという点では自由でないのかも。歴史を自由に解釈した結果、その歴史が現実の自分に憑依して助けてくれると思っている。

最後に、自分は半出生主義に同意しないけど子供が好きという理由が恣意的だなあ。まあ最後は個人の感想の問題になるんだけど。経験から蓄積された言語化できないもので何となくそう思っている。

心を病んだらいけないの?: うつ病社会の処方箋

この本の恐ろしいところがタイトルと中身のギャップが激しいところだ。安易な救い、承認を与えるわけではなく、社会課題(友達、毒親発達障害ブーム、電通社員自殺、オンラインサロン、自己啓発、etc.)に対しインテリ共が理論武装で自己主張対談している。社会現象をぶった切って安易に縋りつくなよというマッチョイズムさえ感じる。

ただ社会学と精神医学の系譜をざっくり抑えるには非常にわかりやすし、ところどころ納得する箇所もある。さらに社会の流れから自身を取り巻く現状を思考する、理由付けるって点では俯瞰するのに良いのかも。

病気が社会のかたちを表すってのにはハッとさせられた。サービス業を中心とした感情労働の拡大を背景としてコミュ力が重要視されて、それが発達障害ブームと関係しているのではないか?とか。日常生活に支障をきたしたとしても、それは今の時代的、環境的な要因が大きくて、自分の問題にしすぎないようにするって大事だ。発達障害だからと二元論化するのではなく、自分の特性に合う環境を、自分にとって気持ち悪くないものを自分、環境と向き合って理解していく考えが自分にとって自然だった。自分は発達障害だから、とカテゴライズ化してそれを諦める装置として使うのが恐ろしくて、本来やってみたら楽しいことを切り捨てるような気がして。ただ自分の中のモヤモヤ、苦しみを発達障害だからと言語化することは、自信を急速に取り返すには良いという側面もあるとも思える。この理論はフェミニズム毒親と近い気がしている。自分の苦しみをあるカテゴリで理由付けして救われることがあるけど、まあそのカテゴリに引っ張られすぎて社会との対話をなおざりにしてしまうのに注意しないといけないんだけど...。

激しい主張、批判はところどころあるが、 マクロに社会背景を考えて、社会や周囲との関係性を分析して対話を重視するという観点には同意する。離散的に違いを千引きするのではなく、連続的に対応できるようになりたいな。