二郎系ラーメンは完全食の夢を見るか? Part2

そういえば更新をすっかり忘れてしまっていた。

yapatta.hatenablog.com

この続きの話。

あらすじ

194X年、東京都某区のラーメン屋「ラーメン幾郎」店長田中は戦時中の食糧難が続きラーメン屋を営業できなくなってしまった。

そんな中、帝国陸軍山下中尉が彼の元を訪れた。天皇陛下の勅命の元、国家の危機を救うため完全食を目指し再びラーメン作りに奔走するのであった。。。

第二話

田中は早速、帝国陸軍大本営に向かった。調理研究班第一課に就任することになったのだ。

彼の心の中は期待と同時に不安でいっぱいだった。

彼自身、現在の食糧難を嫌というほど目の当たりにしていたのだ。ラーメンを作る、研究するにも材料が無ければどうしようもない。 陛下は一体俺に何を期待しているのだ

目的地には案外早く着いた。

路面電車を降り、真正面にそびえ立つ大本営に入る。

天皇陛下への忠誠と国家に対する不信感、相反する2つの気持ちが交互に揺れる。

国民が美味しい食事にありつけずに何が戦争だ。お上に食事の大切さをわからせてやるんだ。心に火が灯った。

彼は自身のラーメンに絶対の自信を置いていた。ラーメン一筋30年、それは彼の過去にも関係があるようだった。



彼は肉屋の三男として生まれた。幼少期から家畜の解体を手伝ったり、調理するうちに肉の可能性に目覚めていった。

肉は宇宙だ。部位が違うだけでこんなにも多彩な味を表現できるとは。

俺はこの肉の美味しさをもっと多くの人に知ってもらいたいんだ!

20歳のとき彼は野心に燃えて満州渡航した。当時、大日本帝国とロシアの利権が衝突する地だった。

そこに行けば、ロシア料理、中華料理両方のノウハウを獲得できると夢見た。大陸料理は日本よりも肉の個性をよく活かしていた。特に彼は中華料理の中でも、ビーフン、刀削麺に着目していた。

普段調理では使われない、ゲンコツ、ガラ、豚足など存分に煮込んだスープに魅了された。こんなコクが強いスープはまだ日本にはない。これをアレンジしてどうか日本に伝えたい。

そんな感じで気づいたら彼はラーメン作りの道を闊歩していた。数年の修行を経て中国人顔負けのビーフンも作れるようになった。ただ彼は満足していなかった。

どうも麺に力強さが足りない

茹で時間を短くする、加水率を調整するなど工夫も取り入れたが、それではどうにもならない物足りなさを感じた。

豚、鶏をゴツゴツに煮込んで存分に旨味をスープに取り込みたいのだが、このままだとスープの主張が強すぎて味に調和がなくなる...

彼は悩んでいた。

そんなときだった。ロシア人の友人がウイグルの郷土料理「ラグマン」*1を紹介してくれた。

これだ!

雷が彼の脳内を貫いた。俺は中華麺にひっぱられすぎた、もっとうどんっぽくて良いじゃないか

さらにクミン、コリアンダーのスパイシーな香り、これは日本だとニンニクで代用できそうだ

彼の脳内の点と点が繋がった。

よし、これを自分なりにアレンジして俺だけの最強ラーメンを作るぞ

そうして試行錯誤を重ね完成したラーメン、それが幾郎ラーメンだったのだ、、、


続く...

*1:中央アジア全域で広く食べられている手延べ麺、現代ではウイグルの二郎とも言われ密かに注目を浴びているとか...