書評レビュー: ジェンダーと脳

最近読んだ本

これ自分の中でツッコミどこがあったからせっかくだし書評でも。

イスラエルのテルアビブ大学神経科学・心理学教授の人が書いた本である。

内容として前半では、脳科学の観点から脳は性差より個体差の方が大きく、男脳・女脳と明確に分かれる事はなくモザイクであることを強調していた。

後半では、ジェンダーの偏見から解き放つために教育だったり具体的行動についての著者の主張という形だ。


脳がモザイクってある主張まではよかった。ただ後半で彼女自身の主張に対するはてなが自分の中に浮き上がってきた。

子供をジェンダーから解放するために彼女が行っている教育の部分で、

数年後、子どもたちがあるご家族とジョギングに行ったとき、そちらのご家族の娘さんが途中で走るのを止め、女の子だから走れないと言った。喜ばしいことに、私の子どもたちは娘さんに、君の説明は理由にならない、だってぼくたちはジョギングする女の子を知っているからと話した。

ここ、ぞっとする。つまり走るのを止めたのは走ることに疲れたからで女の子だからという理由は走ることを止めるためのただの口実であったように思える。それを感じ取って合わせられる人間であったら良いのに、その言葉をジェンダーに結びつけて字義通り違うと一刀両断してしまうわけだ。同意しなくても共感ぐらいしてもいいじゃないか。ジェンダー問題に注力するあまり、人の気持ちを考えられない人間を生み出してしまっていることを誇らしげに語っているのが怖い。

著者は男性向けか女性向けかが意図的に仕組まれていることに気づけるように注意して観察するように子どもに教育することで、ジェンダー差異のおかしさに意識的に気付けるように子どもはなると言うが、人間的な優しさを犠牲に彼女の思想の尖兵を育成しているかのように思える。子供の感性にバイアスを注入と。

上の文章を書いてから、教育がそもそも無意識下で感性にバイアスを注入する行為なのかな〜と再認識し始めた。多分思想は時代や地域や個人的な原体験を元に強調されるし、それを教育という形で次世代に伝授する。

言ってみれば当たり前のことだ。そうやって世の中が回ってきたんだ。 当たり前のことなのに、その思想というものが極端になってしまう、つまりマイナスの面なんかを見ちゃうと自分が次世代に思想を伝授するって行為が恐れ多いもののように思えてしまう。学校などで関わってきた教育者の思想の餌食になる経験をしたら尚更である。どうしてあんなに正しいと自信を持っていられるかわからない。

こんなことを考えてしまうとどうも八方塞がりになってしまう。どうやら自分は教育というものの理想を高く持ちすぎたようだ。考えすぎて何もできなくなると、やっているときよりも悪い事態に陥るってことが往々としてありそうだ。

大分話が脱線したな、自分が気になった部分はジェンダー教育をするあまり人間性を犠牲にしていることだった。

これに気になったというかラジカルに捉えてしまうのは、無意識に自分がジェンダー格差を容認しているからそう思えるのか、本当にラジカルであるだけなのかわからなくなってくる。自分の潜在意識をわかりやすく言語化できない。

まあ気になったと言っても自分はジェンダー教育を批判しているわけではない(というかジェンダー関わらず個々人の望みが何かしらの要因で邪魔されることは防ぎたい)。本質ではない何か社会的な性質に関わらずやりたいことが邪魔されない社会になって欲しいと願っている。本質が何だがわからないんだけど。

こうやって文章を書き上げたあとに、これを読んだ人が僕のバイアスに気づくのかも知れない。自分がバイアスを持っていることが怖いと思いながら、どうやら自分だけでは気づけない部分ってのはあるようだ。だから案ずるより産むが易しってね、こんな文章を今日も書いてしまったんだ。

続く...

卒論の季節である!!

もう11月末に差し掛かろうとしている。

そして私は大学四年生である。

さらに理系大学生ときた。

これらの情報から分かることは、、


そう卒論である。


もれなく卒論執筆中なのだ。だったら良かった。実は執筆の段階にはまだ来ていない。評価環境を実装中なのだ。

私は情報系の学生ということもあってどうやらフラスコをシャカシャカ振るわけでもなく、微生物を培養するわけでもなく、研究室でパソコンに向き合ってプログラムを書いている(らしい)。

理系なのに理系っぽくないな。高校時代抱いていた理系の進路の幻想とは大分かけ離れてしまっていた。とはいいつつ研究室の具体的なイメージ自体あったわけでもなく自分のイメージはシュタインズゲートの未来ガジェット研究所*1のようなものだった(じゃあパソコンカタカタする現環境と近いのでは??)。


話がすり替わってしまったな。評価環境の実装についてだ。

案外やってみて気づいたことだが、この実装というもの自体はそんなに嫌いなものではなかった。

春に論文を読んでいたときに比べたら全くストレスが溜まらない。というか輪講のために論文を読むことがストレスフルだけだった気がしている。先生、先輩に説明するために詳細を理解してまとめること、それを限られた短い期間で行うこと、さらに慣れない英語のそれなりに長い論文ときた。ヘレン・ケラーもびっくりの三重苦である。ヘレン・ケラーごめんなさい、ちっぽけな自分の苦労と偉人を比べるものではない。

ストレスが溜まらないということにおいて、春学期と違って今期は卒業単位の授業を取っていないってのも大きそうだ。卒業単位を4年生で残すべきではない、これはすごく反省。今になって3年時に周りの友人達が授業を多めに一生懸命取っていた理由がわかってきた。研究という未知のものに取り組むときにそれなりの余裕を持たせられたらよかった。まあとは言いつつだよ、当時の自分は言っても聞かないだろうししょうがないのかなあ、経験して覚えることも多い。


また話がそれてしまった。そう評価環境の実装自体は楽しいということだ。

楽しさの理由としてプレッシャーがないというのが大きいかもしれない。 卒論提出のXデーはまあ決まっているものの、業務ほど定期的に自分にプレッシャー(というか責任)がかからない。 進捗報告が週一であるものの進捗が生めなかったとしても業務のように大きく人に迷惑をかけることがない(卒業できなかったら先生に迷惑かけるかもしれないが)。個人プレーの実装だから自分との戦いになるという点で案外気が楽なんだ。もしかしたら共同研究、学会発表、ジャーナルってものになったらまた責任に対する感覚が変わるかもしれない。

あと最善の実装を意識しなくて良い。自分が面白そうな実装を適当に取り入れても誰に怒られることがないってのは大きいかも。取り敢えず手を動かして色々試せるっていうのはいいなあ。


案外自分はしっかり学生をしていたんだと再実感する。お金という対価を貰っていないおかげでダラダラそれなりに楽しめている。

そんなことを思ったら大学卒業間近の今というこの不安定な時間も自分にとって愛おしく大切に思えるような気がしてきた。

続く...

*1:狂気のマッドサイエンティストこと鳳凰院凶真が混沌の地・秋葉原に設立した研究所、、、らしい

二郎系ラーメンは完全食の夢を見るか? Part2

そういえば更新をすっかり忘れてしまっていた。

yapatta.hatenablog.com

この続きの話。

あらすじ

194X年、東京都某区のラーメン屋「ラーメン幾郎」店長田中は戦時中の食糧難が続きラーメン屋を営業できなくなってしまった。

そんな中、帝国陸軍山下中尉が彼の元を訪れた。天皇陛下の勅命の元、国家の危機を救うため完全食を目指し再びラーメン作りに奔走するのであった。。。

第二話

田中は早速、帝国陸軍大本営に向かった。調理研究班第一課に就任することになったのだ。

彼の心の中は期待と同時に不安でいっぱいだった。

彼自身、現在の食糧難を嫌というほど目の当たりにしていたのだ。ラーメンを作る、研究するにも材料が無ければどうしようもない。 陛下は一体俺に何を期待しているのだ

目的地には案外早く着いた。

路面電車を降り、真正面にそびえ立つ大本営に入る。

天皇陛下への忠誠と国家に対する不信感、相反する2つの気持ちが交互に揺れる。

国民が美味しい食事にありつけずに何が戦争だ。お上に食事の大切さをわからせてやるんだ。心に火が灯った。

彼は自身のラーメンに絶対の自信を置いていた。ラーメン一筋30年、それは彼の過去にも関係があるようだった。



彼は肉屋の三男として生まれた。幼少期から家畜の解体を手伝ったり、調理するうちに肉の可能性に目覚めていった。

肉は宇宙だ。部位が違うだけでこんなにも多彩な味を表現できるとは。

俺はこの肉の美味しさをもっと多くの人に知ってもらいたいんだ!

20歳のとき彼は野心に燃えて満州渡航した。当時、大日本帝国とロシアの利権が衝突する地だった。

そこに行けば、ロシア料理、中華料理両方のノウハウを獲得できると夢見た。大陸料理は日本よりも肉の個性をよく活かしていた。特に彼は中華料理の中でも、ビーフン、刀削麺に着目していた。

普段調理では使われない、ゲンコツ、ガラ、豚足など存分に煮込んだスープに魅了された。こんなコクが強いスープはまだ日本にはない。これをアレンジしてどうか日本に伝えたい。

そんな感じで気づいたら彼はラーメン作りの道を闊歩していた。数年の修行を経て中国人顔負けのビーフンも作れるようになった。ただ彼は満足していなかった。

どうも麺に力強さが足りない

茹で時間を短くする、加水率を調整するなど工夫も取り入れたが、それではどうにもならない物足りなさを感じた。

豚、鶏をゴツゴツに煮込んで存分に旨味をスープに取り込みたいのだが、このままだとスープの主張が強すぎて味に調和がなくなる...

彼は悩んでいた。

そんなときだった。ロシア人の友人がウイグルの郷土料理「ラグマン」*1を紹介してくれた。

これだ!

雷が彼の脳内を貫いた。俺は中華麺にひっぱられすぎた、もっとうどんっぽくて良いじゃないか

さらにクミン、コリアンダーのスパイシーな香り、これは日本だとニンニクで代用できそうだ

彼の脳内の点と点が繋がった。

よし、これを自分なりにアレンジして俺だけの最強ラーメンを作るぞ

そうして試行錯誤を重ね完成したラーメン、それが幾郎ラーメンだったのだ、、、


続く...

*1:中央アジア全域で広く食べられている手延べ麺、現代ではウイグルの二郎とも言われ密かに注目を浴びているとか...

最近読んだ本(2021年9月以前)

どうもyapattaです。

最近読んだ本の更新が途切れていたし、最近何を読んでいたかもよくわからなくなっていたから振り返ってみた。

6月は目の調子が悪かったので5月か7月以降に読んだ本が多い気がする。

感想が湧き出てくる本についてレビューするぐらいが読了本の紹介として良い気がしてきた。

在日ウイグル人が明かす ウイグル・ジェノサイド ―東トルキスタンの真実

東トルキスタンの歴史、ウイグル強制収容所における実態だったりがメインの内容。

中国共産党は植民地をあたかも自治区のように見せて、国際的な目を盗んで徐々に自由や権利を奪うのが本当に上手だった。

この本を友人と読んで、全体的に主張が強く事実に加えて感情的部分が多いよねという感想に至ったのだが、よく考えたら民族、同胞の存続が危ぶまれる時期こそお気持ちが重要になってくる気がしてきた。

関心を抱いてもらう、認知してもらうには、やはり激しく感情を揺さぶらないといけない。自分ごとのように捉えて初めて関心を抱くし、激しい感情を抱くことがもっと知ろうとするトリガーになるだろう。

関心を抱く人が増えれば、それは社会課題として認知されるし、意見を戦わせて解決策を見つけ出して最終的に解決されるかもしれない。

だから中立という言葉を装っての無関心な姿勢、とても気持ち悪いと感じる。

確かに、お気持ちを捨象して事実、結果を述べることは、一部では(例えば理工学的には)正しい姿勢だと思う。ただ、その姿勢で人文系の話題に持っていくとどうも交わらない気がしている。

社会課題において一意に正しいことなど存在しないし、自分が考える正しさを重視することが求められる、気がする。ただ同時に正しさを考えること、これ非常に難しい、簡単に決められない、永遠に悩み続ける気がする。

学校、行かなきゃいけないの?: これからの不登校ガイド (14歳の世渡り術)

6月大学不登校になったとき読んでいた。

不登校だったりフリースクールへの社会評価がかつてより全然高くなっているんだな。

小学校の3年あたり学校に行っても孤独で楽しくなく通いたくなかったけど当時は親にも絶対言えなかったし、ここで休んだら負けだと思って強がって通っていた自分を思い出した。

子供の引き籠もるという選択が他の大勢達が乗っているレールから外れることになるからこそ、親がその選択肢を取っても良いんだよと肯定してあげることが大事なんだろうな(ただこれは親視点的にはめちゃくちゃ難しい気がする)。

レールから外れることも案外悪いことではない気がしていて自分の気持ちに嘘をつかない経験を持っていれば、その価値観が嫌だったときに疑問を飲みこまずに無理して頑張ることもなくなるだろう。

それぞれが生きやすいぐらいに溜め込まずに自己主張できる世界が広がれば良いな。

ポストコロナ期を生きるきみたちへ

中高生向けに書かれた本だけど大学生が読んでも面白い至言が数多く語られている。

個人的に興味深かったのは、後藤正文の生活の中の芸術を取り戻そうというお話。

芸術を特別な人達のものにしようとして、気づいたら生活の中から芸術が無くなっていってしまったが、もっと芸術は身近なものでいいし自分が上手であれ下手であれ、うまく創ろうと努力して創作してそれが芸術だと信じたら芸術になる。

そんなことを考えるうちに下手でもいいから自分もボーカロイドで音楽作ってみたいなと思い始めて初音ミクNTを買ってしまった。

後藤正文アジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)のボーカル、ギター担当。因みにアジカンのCDジャケットを手掛けている中村佑介の絵が非常に好きだ(布教)。夜は短し歩けよ乙女のイラスト最高なんだ。

ブルーピリオド

ネタバレにならないように。ストーリーがあるものは新鮮さが命でもある。

鮎川龍二が本当に良い、ダントツで良い。受験と家庭環境に消耗している中で、彼の内面が激しく描かれている時期が一番好きだった。

「どうみられてもいいと思えないなら、まだ死んじゃダメだよ」

因みに10月からアニメ化されるので(Netflixでは既に公開されている)、東京リベンジャーズのあの某シーンで不完全燃焼になった人たちは是非見て欲しい。

blue-period.jp

いまさら聞けない ビットコインブロックチェーン

分散システム系の研究室に入ったからブロックチェーン技術を研究テーマにするのありだなと思っていた。さらに当時、ビットコインの価格が上がっていて(このあと中国当局の規制で大暴落するのはお約束)、この流れに自分も便乗するかぐらいの気持ちだった。

そしてブロックチェーンを研究している友人に、この本を入門書としてオススメされて読んでみた(購入当時(4月頃)、Prime Readingで追加費用なしで読めたというのもでかかったw)。

下のMastering Bitcoinから技術的な内容を捨象して一般の方向けにも非常にわかりやすく、読みやすくまとめてあった気がする。

Mastering Bitcoin(邦題: ビットコインブロックチェーン)

上の本を読み切ったのでビットコイン関連本の中でも名著として名高いこの本を読んでみることにした。自分で読み切れる自信がなかったからサークルで募集をかけてみたら案外多くの方々が興味を持ってくれてありがたかった。

ビットコインのフルノードを実際のPCにインストールして(因みにTestnetではなくMainnetのフルノードを構築すると容量的な死を意味する...)、実際に動作確認をできたり、軽いソースコードから実装の詳細をイメージできたりと体験しながら学べる。

暗号、トランザクションに重点を置いていて、P2Pネットワークにはあまり詳しく触れていない印象だった。てかそもそもビットコインの中心が暗号的技術であってP2Pネットワークは副次的な技術であるような気がしてきた。公開鍵暗号やハッシュの非対称性のおかげでその通貨を使える人がセキュアに一意に定まる、取引の公正性を検証できるってのは面白い試みだ。

因みにトランザクション内のScript言語がチューリング完全な言語だったら超巨大な分散型コンピューティングみたなのできるやん!と思って、単一の記録台帳をチューリング完全言語で扱えるEtheriumに興味を持った。

と同時に、パブリックなブロックチェーンでできること(現実に利用されていること)が取引ぐらいしか無さそうだし、更にユーザの一般的な用途が投機目的になっている現状を見て幻滅してしまいそこまで掘り下げるのも違うなと思ってしまった。

ただ自分はSiaみたいな分散ストレージには可能性を見出している。

Winny 天才プログラマー金子勇との7年半

積読を消化した。自分が関わっている分野で金子さん自体レジェントのような存在だから、もうこれは読むしかねえ!

これはP2P匿名ファイル共有ソフトWinny」開発者として著作権侵害行為幇助の疑いで金子勇が逮捕、起訴され、その後無罪判決が確定するまでの7年半を弁護団の事務局長を務めた壇俊光が小説としてまとめたものである。

高等裁判所で無罪を勝ち取ったとき壇さんの、

でも、すごいことなんだよ。自分の信じるもののために情熱を注げたってことは......。

という言葉、胸に残る。実際、誤っている、無理だとの讒言も多かった、それでも自分の(が関わった)事件、正しさを信じて戦い抜き成し遂げたことに勇気を貰った。

実はWinnyについて法学部の法科大学院に進む友人と話して、最新テクノロジーを用いた刑事裁判ってのは前例がないし検察も技術に疎いししょうがないのかな、と聞いて悲しくなった。

しょうがないで済ませたくないな。

Winnyで無罪が確定するまで7年半かかったわけだが、その7年半でどこまで日本の技術発展に貢献できたかと思うと、一介のプログラマとしてやるせない気持ちでいっぱいになる。ただ、無罪確定してP2P共有ソフトの著作権幇助の前例を作らなかっただけ良かったのかなとも思うところがある(これは結果論だが)。

ただしい人類滅亡計画 反出生主義をめぐる物語

魔王が人類を滅亡させるか決めるために、主義主張が違う10人の人間が議論して人類は滅亡すべきか決めさせられるお話。

半出生主義、今の親ガチャ流行と非常に親和性?がある気がしている。富が固定化され、人生の予測不可能性が減って、どのパラメータが高いと現実社会で高い地位につけるかが非常あからさまになってしまい自分の個性、多様性を偶然自分だけが持っている大切なものと認められることが難しくなっているのかも、一直線の軸の上で欠点、劣等として捉えちゃうような。考えすぎてもループに陥るし自分ではどうしようもないものだから、まあ自分が持っているもので目の前のことをそれなりに頑張るかって思えたら良いのだろうか(ただ都心の教育の方が明らかに資本主義パラメータにうまく合わせてるよなとか考えるときもあるが、パラメータに適合して教育することが子供にとって良いことかはまた別だろう)。

youtu.be

この歌でも聞いて頑張りたい


読んでいて印象に残った箇所について取り留めもなく書いていく。

他人に苦痛を与えるべきでない道徳を起点に半出生主義の議論が進むが、そもそも道徳はただのルールでしかない、指針でしかないという観点が面白い。道徳を完全に守る必要はなくあくまでも社会維持のための道具であり、道徳そのものではなくどう道徳を守るか、定めるか、なぜその道徳(ルール)が必要なのかを議論できることが大切な気がしている。

幸福と不幸は非対称だし、どうやら出生のような取り返しのつかない罪の場合、もはや対称的な償いをしたところで罪が消えることはない。むしろ、罪というのはその人の認知によるものが大きいから、出生してよかったと本心から思わせることでしか罪滅ぼしにならないって発想すごく好きだ。個人の認知である以上、その人が内面をどうかしていくしかないから手助けはできてもこう解釈しろって強要できないんだよな、その人を否定することにつながるかもしれない。

物語シリーズ忍野メメの言葉

人は一人で勝手に助かるだけ。 誰かが誰かを助けることなどできない。

を思い出してしまった。

読んでいくうちに自身が歴史好きである理由の一つをうまく言語化できた気がする。未来になにが起こるかわからないから、過去の方が解釈しがいがあって実は自由だと考える発想。自分は歴史の中に人間の決断、ドラマを見ることが好きだが、同時にこれらは終わったことで解釈が自由だから歴史が好きな理由としてあった気がする。一方、未来は自由に選べると言っても現在の自分の思考、社会関係を引きづっているという点では自由でないのかも。歴史を自由に解釈した結果、その歴史が現実の自分に憑依して助けてくれると思っている。

最後に、自分は半出生主義に同意しないけど子供が好きという理由が恣意的だなあ。まあ最後は個人の感想の問題になるんだけど。経験から蓄積された言語化できないもので何となくそう思っている。

心を病んだらいけないの?: うつ病社会の処方箋

この本の恐ろしいところがタイトルと中身のギャップが激しいところだ。安易な救い、承認を与えるわけではなく、社会課題(友達、毒親発達障害ブーム、電通社員自殺、オンラインサロン、自己啓発、etc.)に対しインテリ共が理論武装で自己主張対談している。社会現象をぶった切って安易に縋りつくなよというマッチョイズムさえ感じる。

ただ社会学と精神医学の系譜をざっくり抑えるには非常にわかりやすし、ところどころ納得する箇所もある。さらに社会の流れから自身を取り巻く現状を思考する、理由付けるって点では俯瞰するのに良いのかも。

病気が社会のかたちを表すってのにはハッとさせられた。サービス業を中心とした感情労働の拡大を背景としてコミュ力が重要視されて、それが発達障害ブームと関係しているのではないか?とか。日常生活に支障をきたしたとしても、それは今の時代的、環境的な要因が大きくて、自分の問題にしすぎないようにするって大事だ。発達障害だからと二元論化するのではなく、自分の特性に合う環境を、自分にとって気持ち悪くないものを自分、環境と向き合って理解していく考えが自分にとって自然だった。自分は発達障害だから、とカテゴライズ化してそれを諦める装置として使うのが恐ろしくて、本来やってみたら楽しいことを切り捨てるような気がして。ただ自分の中のモヤモヤ、苦しみを発達障害だからと言語化することは、自信を急速に取り返すには良いという側面もあるとも思える。この理論はフェミニズム毒親と近い気がしている。自分の苦しみをあるカテゴリで理由付けして救われることがあるけど、まあそのカテゴリに引っ張られすぎて社会との対話をなおざりにしてしまうのに注意しないといけないんだけど...。

激しい主張、批判はところどころあるが、 マクロに社会背景を考えて、社会や周囲との関係性を分析して対話を重視するという観点には同意する。離散的に違いを千引きするのではなく、連続的に対応できるようになりたいな。

ISUCON11予選に参加した

どうもyapattaです.

今年もISUCON11予選参加記RTAを目指す.

ISUCONとは?

お題となるWebサービスを決められたレギュレーションの中で限界まで高速化を図るチューニングバトル.

Iikanjini Speed Up Contestの略らしい.

ISUCON11のまとめ↓, ここからISUCON11の欲しい情報は見つかりそう.

isucon.net

今回は椅子の状態を管理するウェブアプリ「ISUCONDITION」のパフォーマンスを最適化するとか.

チーム

去年のチームは解散して、チームメイトとは本戦で会おう!とお互いに誓いあった.

今年は190ikpとnkpoidと新たにチームを結成し参加した.

チーム名は「ハードウェア自作から始めるISUCONチューニング」. 因みにハードウェアからチューニングはできなかった.

使用言語はGoだ.

役割分担

190ikpがインフラ全般のチューニング, yapattaとnkpoidがDBとアプリケーションのチューニング担当だ.

終始, 二人におんぶにだっこしてしまった...(申し訳無さとありがたさ)

事前準備

事前準備ではデプロイ, パフォーマンス解析, ソースコード管理における自動化を行った.

ローカルで変更(MySQL, Nginxのconf, アプリケーションコード変更, SQLの初期化関連のスクリプトなど)を修正した場合, deployスクリプトを用いてrsyncでリモートサーバに流すという大まかな方針.

アプリケーションコード, SQLの初期化関連のファイル, ミドルウェアのconf, デプロイもしくは解析用のスクリプトは全てプライベートレポジトリで管理するようにした.

こだわり点として,

  • ローカルでGo1.17を利用してビルド, バイナリをリモートサーバに配布(少しでもパフォーマンスを上げたかった).

  • デプロイが完了したらWebPushによってdiscordで通知が確認されるように

  • アプリケーション側の律速を見るためにpprofを利用

  • slow queryもしくはnginxのログの確認はスクリプトを叩いてリモートサーバからrsyncで取ってくるように

  • dev環境と本番環境で流すconfを変えることをスクリプトの引数で実現(ログの出力の有無など)

これにより快適なデプロイライフを歩めた気がする

本番

残念ながらスコアがどのぐらい上がったかが所々記憶からすり抜けてしまい, ただやったことぐらいは書けそうなので書いていく.

皆無事起床に成功. 最重要難関をクリアした.

今年は予定通り10時に開催されたみたいだ.

本番開始後, 190ikpがCloudFormationでサーバ構築, 自分とnkpoidがとりあえずアプリケーション仕様だったりの必要そうなドキュメントを眺める.

そしてサーバ構築が取り敢えず終わったのでベンチマークを走らせる.

その後自分はMariaDB用にmy.cnfを書き換え, その間にnkpoidがアプリケーション用のソースコードを読む.

バイナリログを無効にする書き方がskip-log-binだったりと所々違っていた.

nkpoidがgetTrendでN+1を見つけたためそれを修正することに.

自分はmy.cnfを書き換えながら, UPDATEやINSERTの後に別トランザクションでSELECTが無かったら, transaction-isolationREAD-UNCOMITTEDでも大丈夫じゃねとか言っていた(最終的に一番READ-COMITTEDが安定).

あと, ADMIN PREPARE対策でinterpolateParams=trueを追加した.

   dsn := fmt.Sprintf("%v:%v@tcp(%v:%v)/%v?interpolateParams=true&parseTime=true&loc=Asia%%2FTokyo", mc.User, mc.Password, mc.Host, mc.Port, mc.DBName)

190ikpがdeployとanalyze用スクリプトをええ感じに動かせるようにし, 用意したmy.cnfとnginx.confだったりを適用してdeployスクリプトを回す(この時点ではサーバ一台のみで実行).

取得ログとpprofの結果から, アプリケーションの律速はgetTrendとpostIsuConditionだとわかる.

引き続きnkpoidがgetTrendを最適化し, 自分がpostIsuConditionを最適化する.

postIsuConditionではまずログ出力がボトルネックになっていたため, ログを切るように.

   log.SetOutput(ioutil.Discard)
    e := echo.New()
    e.Logger.SetLevel(log.OFF)

    e.Use(middleware.Recover())

次にInsertがN回別々に行われているため, そこをBulk Insertにしたら速くなるのでは?ということでBulk Insertを実装しようとする.

そんなことをしている間にnkpoidがN+1を解決. スコア10000を超えた気がする.

その後sqlxでBulk Insertがうまく書けず悩んでいたところ, nkpoidに介抱(やってもらった)してもらい実装.

190ikpにはnginx用のconfを書いてもらい, http2用の設定を適用してもらっていた(SSL使っていたため).

そういえばマシンスペックは3台全て同じであった. 一度サーバ1でプロキシとアプリケーション, サーバ3でMariaDBを動かすように構成を変更.

アプリケーション側のボトルネックを大分解消できたため, DBの設定を見直す. DBのメモリが張り付いていなかったためinnodb_buffer_pool_size=3Gと設定(メモリ3.5GiBほどあったため), またinnodb_log_file_size=512Mに(これより上げると何故か落ちた).

さらにlimits.confLimitNOFILE=65536に. 扱えるファイルディスクリプタの数を増やした.

このときスコアが15,000を超えた気がする.

アプリケーション実行サーバでCPUが張り付くようになったため, サーバ2にアプリケーションサーバを建ててロードバランシングを試すように.

ロードバランシングを開始してから非自明にscoreが0になり, うーんと悩ます.

ロードバランシングをやめてアプリケーション一台構成にしたら動作するがいまいちスコアが伸びず(何なら下がった).

アプリケーション2台持ちの状態で, DBのコミットレベルを変えたり, nginxにおけるhttp2のkeepalive_timeoutを変更し問題を見つけ出そうとしたがスコアが0のままに.

その間にorder byでDESCしているクエリが存在するから, Descending Indexesを貼れば速くなるんじゃねとインデックスを貼り貼りしていた.

最終的に課題解決ができず, nkpoidがコミットハッシュを大分昔に戻して, N+1修正前にまで戻した状態でインフラのcnfを最適化してデプロイしたら, スコアが25,000を超えた.

いらないserviceは尽く止めたし, さらにjournaldまで止めたのが効いたのか??

スコアがでなくなるコミットを確認するために履歴をたどっていったが最後問題究明ができないままスコアが0であった. nkpoidがとっさの機転で最大スコアのコミット状態をデプロイしてコンテストが終了した.

Failにならないのを祈るばかりだ.

狐につままれたような終わり方をしてしまった.

どこのせいで動いていないか理由を究明できないまま別の修正に手を加えようとしていた自分の態度に反省.

そしてチームメイト本当にありがとう, 今日も今日とてお世話になりました.

オリンピックを冷やかしに国立競技場に行ったら案外楽しくなった話

どうも、yapattaです。

今回野次馬的な動機で国立競技場の近くでオリンピックの開会式を見に行ったら案外楽しかったのでそのことをまとめるという感じで。

動機

最近オリンピック人選のゴタゴタが非常に多く、相次ぐ解任と辞任が取り沙汰されていた。

個人的にはネタとして非常に面白く、ただこんなにゴタゴタしている中で開会式をどう行うか非常に気になっていた。さらに会場付近では労働組合達の反オリンピックデモだって間近に見たかったし、警戒態勢の警察の警備だって気になっていた。

色々な知的好奇心が重なって、リアルな雰囲気を楽しんでかつ冷やかしに国立競技場に遊びに行ったら面白いのでは?と思い、友人を誘って決行してしまった。

会場に着くまで

いきなりハプニングが起きた。

国立競技場って複数あるんだな。。。

自分が行った国立競技場が原宿の国立競技場らしくて、開会式の会場とは違うところだったのだ!!

開会式が始まって特に周りの雰囲気が何も違わないことに違和感を覚えて気づいてしまった。

ただ原宿の国立競技場の周りだって機動隊だったりパトカーがたむろっているし、オリンピック2020の広告で溢れていたし、名前だけは同じ国立競技場だからまじでわからんよ。国立競技場ってなんで複数存在するんだよ!命名がわかりにくすぎだろ!とかブツブツ文句垂れながら急いで本命の国立競技場に向かうことになった。

本命の国立競技場へは距離的に2kmないぐらいだったので近くて非常に助かった。本当に助かった!

一緒に行った友人には呆れられていたが、まあ自分は何かしらこういうことを引き起こすし何ならまたフラグを回収してしまったな、って感じで笑ってしまった。

そんな感じでそれなりに頑張って歩いて会場に着いたわけだった。

開会式中ながら、反オリンピックデモは非常にうるさいし警察とも揉めていた。

オリンピックが開会されてしまってもデモを行う人達の心境としては、開会式中止にすることは不可能でもオリンピック反対という意思の火種を民衆に焚き付ければ良いぐらいに思っているのかな。衆議院選挙だって10月頃にあるだろうし。

いざ行ってみて

準備万端だった。会場を間違える以外は。

雨が降ることを見越して折りたたみ傘は持ってきたし、IPad上でNHKプラスを見ることでリアルタイムで開会式も拝めた(ただ喧騒で音は良く聞こえない)。コンビニで買った酒を飲んで優雅にオリンピックを見ていた。

そこまで優雅に見ている人達が他に居なかったらしくて、日本の某テレビ局からインタビューを受けてしまった。我ながら大手柄だと思ったものの、どうやら放映日を聞くのを忘れてしまった。もったいないことをした!、とインタビュー後に気づいてしまった(とはいえ放送されないかもしれないとも言われた)。

中国人のインスタグラマーに話しかけられたり、アメリカの某テレビ局の人と話したりで、このご時世には珍しくリアルな国際交流を経験してしまった。

ただアメリカ人の某は自分たちが許可していないのに勝手にスマホで動画を撮りだすし、自分が強く消せって促して目の前で消させたから良かったものの、所属を名乗らずに無許可で動画撮る姿勢まじでなっとらんよな、と。

そんな感じで変な国際交流があったし、他には聖火が灯される姿を知らない人達と一緒に見て歓声を上げたりと気づいたら開会式のリアルな空気を存分に楽しんでしまった。

子連れの人達も多くて、確かに色々政治的にはゴタゴタがあったとは言え、日本で開催されるオリンピックを子供に間近で見せたい気持ちもわかる気がした。生きている間に見れる機会はもしかしたら最後かもしれない。

オリンピックにおけるクリエイティブについて

開催前の政治的ゴタゴタは本当にひどいものだったし、感染拡大が止まない中で海外から選手を招聘して開催するのはどうなの?(下手したら日本が感染ハブのようになる)って思うし、それでいて東京都民には緊急事態宣言で自粛を強いるし、で本当に矛盾だらけなんだけど、クリエイティブと政治を区別して見ることって本当に大事だと思うんだ。

今回オリンピックの制作、演出に関わった人は、このパンデミック下でのオリンピック開催のあり方に疑問やモヤモヤ、苦しみを少なからず抱いていたはずだ。さらに直前でのメンバーの解任、辞任も相次ぐ中であっても、何とか最善の努力を尽くして開会式で世界に見せれるものを見せつけた。そこは素直に称賛したいし、何なら日本人として誇りに思いたいんだ。

そんなわけでオリンピックの開催や政治に疑問を持ったり批判していたとしても、クリエイティブに対して見下すような発言はできたら止めてほしい。何なら本来享受できるはずのものを自分のバイアスのせいで見逃してしまうかもしれない。

自分も定期的に創作に関わる一プログラマとしてそのことは強く感じた。

まとめ

自身はオリンピック開催に関して批判的だったけど、いざ開催してしまったら楽しめるものは楽しもうという姿勢で冷やかしに行ってしまったし、何なら開会式が楽しくなってしまった。

久しぶりにリアルな体験をできたし楽しめた。オンラインじゃ味わえないライブ感ってあるよな。

感性が刺激される。そして考える契機になる。やっぱりリアルな体験って無くしちゃいけない気がするな。

そんな感じでこのパンデミックが早急に終息することを祈るのだった(打てるのならワクチン打とうな)。

研究室を一ヶ月ほど休んだお話

6月いっぱい研究室を休んでいた。

自分なりに落ちていって段々と回復していったお話。

飲み込めないモヤモヤ、違和感だったりを言語化するのってすごく大事だと思う。飲み込めないものは無理に受け入れる必要もない、そう思ってこの記事を書いていく。

まず自己紹介

情報系の学科で学ぶ大学四年生。2月中旬に研究室に配属された。

プログラミングが大好きで競プロをやったり、定期的にハッカソンやサーバーチューニングコンテストに出たり、友人と技術書を輪講したりしていた。

ことのあらまし

5月末頃に胸の息苦しさに耐えられなくなった。

一時期呼吸をするのがやっとなぐらい苦しくて、食べたものを吐き出すときもあった。

呼吸の苦しさのせいかわからないが睡眠障害にも陥っていた。 どんな時間に入眠しても早朝覚醒してしまい睡眠負債がどんどん溜まっていった。

さすがにまずいぞと循環器内科に訪れたら、逆流性食道炎と診察された。

心電図検査したところ特に問題がないが、ただ胃が荒れている状態みたいで、「ストレス溜まってますね〜」と医者に言われた。

二週間分の薬を処方されて飲んだら胸の苦しさが収まった。睡眠障害も2週間ほどで気づいたら治っていた。

ただ心の苦しみは変わらなかった。閉塞感に打ちのめされそうになっていた。

当時はまじで研究する意味を見い出せなかったし、常に進捗に追わされていることに辟易としていた。

研究室に配属されたら研究を頑張るのは当たり前、研究ができる奴が偉い、優秀、研究実績が全てといった暗黙の前提が周囲に流れている気がしてとても気持ち良いものではなかった。

研究を頑張るインセンティブも自分で作ることができなかった(給料を貰っているわけでもなければ努力する責任もない)。

ただ同級生と話すと、「研究頑張らなくちゃ」、「この論文がどうこう」と言う話が流れていき、彼らのやる気に一時的に感化?されて自分も研究を頑張らないといけないのかな、と思って騙し騙し輪講資料を作ったりしていた。

研究室でのタスクは、本の指定箇所を読んで輪講資料を作って発表、論文を読んで輪講資料を作って発表の繰り返し。

論文が興味ある分野であっても、締切に追われる結果じっくり疑問点を解消しようというよりは、その場しのぎの発表になる。疑問を抱くことも知的好奇心を満たす暇すらない。

そして、発表を終えた解放感から個人開発に精を出してしまう。しばらく次の論文を読み始めることができず、結局締切ギリギリで読んでよく理解せずに発表する。

心の底から楽しいと思えなかった、閉塞感と飲み込めない違和感ばかりが積もっていった。

当時は、何かイベントだったりプロジェクトに誘われても、どうせ大変なことが増えるだけだろう、と全く期待も抱けなかった。

ワクチン接種の話が近づいても、ワクチンを打ったら大学にもっと通わなければならないのか?と本気で恐れていた。

鬱屈した気持ちで満たされていた。

さすがに耐えきれずに研究室の先生に伝えて研究室を休ませて貰うことにした。

精神状態が相当良くなく、これを放置してはいけないと直感して、生まれて始めて心療内科に訪れた。

心療内科では医師から現在の状態やなぜ訪れたのかを聞かれて30分ほど話した。一時的な気分の低下であること、発達障害の疑いがあることから、次回心理検査を受けることになった。

行ってすぐに自分の課題が解決するような銀の弾丸など存在しないことを悟ったと同時に、自分の特性と向き合って自分なりに状況を改善せねばなあと思った。

研究室を休ませて貰ったし特に何にもやる気が生じないので一週間ほど実家に帰ってダラダラしていた。

親はそれについて何か言ってくるわけでもないし、ご飯作ってくれたり、洗濯してくれたりと日常の家事をやってくれるのがありがたかった。別に無理して大学院行かなくてもいいよと言ってくれて気持ちが楽になった。

一週間の実家滞在を経て一人暮らしの家に戻ってきたが、特に何かやりたいこともないのでマンガを借りてずっと読んでいた。

ブルーピリオドに助けられた。ざっくり概要は要領よく生きてきた主人公が絵に魅せられて本気で東京芸大を目指すマンガだ。

今の自分のためにある漫画と思えるほどにこのマンガに元気を貰った。

下が一番好きだった言葉。

あなたが青く見えるならりんごもうさぎの体も青くていいんだよ

美術部の森先輩の言葉。自分の価値観を大切にして良い、違和感を吐き出しても良い、周りと違くても良いと思わされた。

研究を休んでいて皆に遅れを取っているという焦りもあって、ただこの言葉に出会ってまあ自分のペースで頑張れば良いかぐらいの気持ちで割り切れた。

当時もう一つの困難として、目の焦点が合わない状態にもなっていた。どうやら自分の身体はかなりストレスに正直なようだ(ストレスとの直接的な相関があるかはわからない)。

病院で精密検査をしたら目が老眼のようになっていると言われた。ピント合わせの機能がうまく働いていないらしい。

次回診察時に、瞳孔を目薬で強制的に開いて視力が出るか測るみたいなことを言われた。ピント合わせ機能以外の問題か調べるためだ(恐らく)。

そして一週間後に病院に行って瞳孔を開いた状態で視力検査をした。視力は出ていることから焦点を合わせる訓練を時間かけてやりましょうとなった。あと焦点を合わせる力が先週より上がっていたらしい。安心した。

瞳孔を開くと光が3日ほど眩しかった。レーシック失敗してハロ・グレアになる疑似体験か?ってなった(実際に経験してないからわからないが)。

因みにこの病院が二軒目の眼科(大学病院)なのだが、現実的な解決策を提示してくれて本当に助かった。

一軒目の眼科では二軒目ほど精密検査をせずに、保険適用外の手術をさせようとしていた、恐ろしい。。。

セカンドオピニオン大事、これまじで。

大学病院の診療費は基本的に他の病院と変わらないから心配だったら行くのは全然ありだということも学んだ。

まあこんな感じで少しずつ自分の身体の問題を解決していって、精神的にもマシになって授業に参加できるようになっていった。我ながら恐ろしい成長だ。

実は、今扱っている技術が純粋に楽しいこと、自宅鯖の話をひらすらに語ってくれる某にすごく感謝していて、技術に対する活力を回復させる一助になった。外部から強制されたものではなく自ずから楽しめる気持ち、大事にしたい。

とにかく体調を徐々に治していって、自身の心理的な特性と向き合って無理せず楽しく生きていきたいな。

学んだこと

  • 研究室の先生に不調を伝えたら対処して貰えること(対処してくれないとこは最早先生が悪い)
  • 進路への親の寛容さに感謝しかないこと
  • 無理に自分を殺す必要はないこと
  • 自分と他人は違うから無理に焦る必要はないこと
  • 自分の特性、好き嫌いを理解することが結果自分を守れること
  • 不調があったら病院に行くこと
  • 診療に疑問を持ったらセカンドオピニオンも全然ありということ
  • 心配なら大学病院行くのも一手ということ