卒論の季節である!!

もう11月末に差し掛かろうとしている。

そして私は大学四年生である。

さらに理系大学生ときた。

これらの情報から分かることは、、


そう卒論である。


もれなく卒論執筆中なのだ。だったら良かった。実は執筆の段階にはまだ来ていない。評価環境を実装中なのだ。

私は情報系の学生ということもあってどうやらフラスコをシャカシャカ振るわけでもなく、微生物を培養するわけでもなく、研究室でパソコンに向き合ってプログラムを書いている(らしい)。

理系なのに理系っぽくないな。高校時代抱いていた理系の進路の幻想とは大分かけ離れてしまっていた。とはいいつつ研究室の具体的なイメージ自体あったわけでもなく自分のイメージはシュタインズゲートの未来ガジェット研究所*1のようなものだった(じゃあパソコンカタカタする現環境と近いのでは??)。


話がすり替わってしまったな。評価環境の実装についてだ。

案外やってみて気づいたことだが、この実装というもの自体はそんなに嫌いなものではなかった。

春に論文を読んでいたときに比べたら全くストレスが溜まらない。というか輪講のために論文を読むことがストレスフルだけだった気がしている。先生、先輩に説明するために詳細を理解してまとめること、それを限られた短い期間で行うこと、さらに慣れない英語のそれなりに長い論文ときた。ヘレン・ケラーもびっくりの三重苦である。ヘレン・ケラーごめんなさい、ちっぽけな自分の苦労と偉人を比べるものではない。

ストレスが溜まらないということにおいて、春学期と違って今期は卒業単位の授業を取っていないってのも大きそうだ。卒業単位を4年生で残すべきではない、これはすごく反省。今になって3年時に周りの友人達が授業を多めに一生懸命取っていた理由がわかってきた。研究という未知のものに取り組むときにそれなりの余裕を持たせられたらよかった。まあとは言いつつだよ、当時の自分は言っても聞かないだろうししょうがないのかなあ、経験して覚えることも多い。


また話がそれてしまった。そう評価環境の実装自体は楽しいということだ。

楽しさの理由としてプレッシャーがないというのが大きいかもしれない。 卒論提出のXデーはまあ決まっているものの、業務ほど定期的に自分にプレッシャー(というか責任)がかからない。 進捗報告が週一であるものの進捗が生めなかったとしても業務のように大きく人に迷惑をかけることがない(卒業できなかったら先生に迷惑かけるかもしれないが)。個人プレーの実装だから自分との戦いになるという点で案外気が楽なんだ。もしかしたら共同研究、学会発表、ジャーナルってものになったらまた責任に対する感覚が変わるかもしれない。

あと最善の実装を意識しなくて良い。自分が面白そうな実装を適当に取り入れても誰に怒られることがないってのは大きいかも。取り敢えず手を動かして色々試せるっていうのはいいなあ。


案外自分はしっかり学生をしていたんだと再実感する。お金という対価を貰っていないおかげでダラダラそれなりに楽しめている。

そんなことを思ったら大学卒業間近の今というこの不安定な時間も自分にとって愛おしく大切に思えるような気がしてきた。

続く...

*1:狂気のマッドサイエンティストこと鳳凰院凶真が混沌の地・秋葉原に設立した研究所、、、らしい