戦略的に心に向き合うのは大切だな

二年前の夏に心がしんどくなってから自分の心に向き合おうと自分の所感を言語化して心を大事にしようとしていたが、言語化したところで思い通りにならない、納得できないことも多々起きる中で戦略的に心に向き合った方が良いんだなと感じたお話。

 

まず自分の所感を言語化しようとするとき大体は自分があまり良いと思わないことなのだが、そんな嫌なイベントが起きたときに自分で言語化して納得しないと動けなくなるというのはときに不便だ。

元々嫌だと思うことを行動に移せない方だった。腰が重かった。それと向き合うために所感を言語化してきたが、常に言語化するのも非常に疲れるし、エネルギーの使い方としては下手だったのかもしれない。そもそも所感を言語化したからといって現状に向き合えるとも限らない。

自分の所感とは関係なくどうしようもない納得できないことが多々目の前に起こりうるし、まあ嫌だと思いながらもなんとかしていくしかない(まあそれでも無理なら撤退!)。

そんなもんだと割り切って脳の意識のリソースを使わない方が何かと健全だった。

 

それでも、どうしてこんな仕組みなんだろう、おかしい、許せないと思ってしまうことは生きていて絶対にあるのだが、感情的になって頭がそれに支配されるよりは戦略的に怒ることが重要になってくる。

自分の所感を周りに理解されないことなど絶対に起こる。

例えばそこで怒りを抱いて自分がどうして嫌かを言語化して相手に話しても、その所属しているコミュニティで当たり前と捉えられているならば取り合ってもらえない。そういうものだと言われておしまいである。

そこで重要になってくるのは、その課題が果たして解決されるべき課題かということだ。感じる課題など複数個存在するし、全てが解決されるというのも現実的に難しい。どの課題を解決すれば、周囲に合意を取れたら、自分にとって一番良い方向に持っていけるか戦略を練ることが大事になってくるんだ。

でないと、どうしようもないことに頭が引っ張られてずっと嫌な感情に支配されることになる。

 

 

何となく下の動画を見て思うことがあった。課題が山積みなんだけど、嫌な感情に支配されすぎずに解決できることに焦点を当てて課題を潰していけたら良いな。

 

100%自分の気持ちと向き合えることは不可能だし、何でも言語化したからといって上手くいくわけでもないけど、自分にとって良い方向へと持っていくために戦略的に心に向き合っていけたらいいわね。

 

続く。。。

さだまさしの「償い」を使った道徳の授業について

さだまさしの「償い」という歌がある。

主人公が雨の夜に運転をしていたところ、人を引いてしまいそれ以降精一杯努力をし続けて遺族に償いをし続けて一切返事をしなかった遺族もその努力に対して手紙を返して、と。

説明をするとどうも情報量を減らしてしまいそうなので以下歌詞。

www.uta-net.com

 

何とも暗く悲しい歌なのだが、何故かこの歌をたまに思い出す。中学二年か三年の道徳の授業で担任がこの歌について扱ったのだ。当時の担任は我々生徒に償いきれない罪を犯したとしても、それを反省して償いを続ける大切さを語りたいという意図でこの歌を取り上げたのだが、何かがズレている気がしてならないのだ。

 

まず何故中学生にここまでとんでもない出来事をしてしまった後の精神状況をシミュレーションさせないとならないのか?

実際に警視庁の令和3年中の交通事故の発生状況を見ても仮に自分を25~29歳であると仮定して見たところ原付以上運転者の免許保有者10万人あたりの事故件数は424.9人である。つまりその世代で0.42%しかない。1クラス40人、学年7クラスあっても一人加害者が出るかどうかという話だ。

www.e-stat.go.jp

 

つまりこんな局地的で限りなく起こる確率が低い状況を子供たちにシミュレーションさせるよりも、どうやったら自分達が幸せに生きられるかを考えさせる方がよっぽどよい。

法律上、人を轢き殺したら加害者、被害者はどうなるかとか、万が一自分が加害者になるときに備えて保険が存在するという話や、そもそもそれ以外に発生しうるリスクへの対処方を教えた方がよっぽど有意義な気がしてならない。何で勝手に自分がどん底に陥ったときの話を想定してるんだよ!というのと、お気持ちも大事だが法治国家で生きている以上、法律に照らし合わせた上で権利、義務を果たすことの重要さを学ばせた方がよっぽど有意義な気がする。

 

それにその起こした状況で、自分がどう思うべきかという答えを既に先生が用意しており、生徒はその考えに従うべきだとする姿勢のどこが道徳の授業か、という疑問もある。

道徳という言葉を広辞苑で引くと「ある社会で,人々がそれによって善悪・正邪を判断し,正しく行為するための規範の総体」と書かれている。先生から与えられた善悪・正邪だけを正しいと鵜呑みにするような人間を育成したところで、彼らが果たして善悪・正邪を(自己)判断して正しく行動することはできるだろうか?

 

そんな道徳の授業を深夜急に思い出してしまい筆が進んで書いてしまった。この道徳の授業も自分が社会を学ぶ上での反面教師だったと今になって思ってる訳だが、歳を重ねるにつれてまた新しい発見が生じるのかもしれない。

 

続く。。。

海外インターンシップのすゝめ

この記事は慶應理工アドベントカレンダー2022の6日目の記事です。

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自己紹介

こんにちは、yapattaです。今年の3月に大学を卒業して半年ちょいオーストリア(カンガルーがいない国!!)でソフトウェアエンジニアとして労働する機会を終えてついこの間帰国してきました。珍しいかつ面白い機会ということもあり、折角なので理工学部生向けにこのようなタイトルの記事を書きます。


なぜ海外インターンを勧めるのか

慣れていない(不利な)状況を乗り越えて生きていく経験を積める

海外インターンを勧めるのにも色々な理由があります。

給料を貰えるので渡航費ぐらいしか支払う必要がないとか(場合によっては渡航費も全然Payできる)、仕事で英語を使う機会を強制的に持つことで英語力を向上させるとか、海外での労働経験が将来仕事を得る上で有利になるとか、自分を客観視できるような多角的視点を持てるようになるとか、色々あると思いますが、個人的には慣れていない(不利な)状況を乗り越えて生きていく経験を積めるというのが大きいと思います。


慣れていない(不利な)状況の中自分が生きていくために、自分がその状況で手に入れられるもの、妥協するものを否が応でも考えなければなりません。 勿論不利な状況を甘んじて受け入れるだけでは憂鬱になってしまうので、例え言語が不自由であっても言うべきこともはっきり言わないといけないです。ただどう妥協するかしないかは経験を積んで学んでいくしか無さそうです。

初めは社会の制度、ルールを勿論知らないために失敗することも多々あります。日本で得られるものと同じものを得られるなど思わずに(これは自戒もある)、良い経験だと思い失敗して段々と学んでいくしか無さそうです。コミュニケーションを取り続けながら段々と折衷がわかっていくのでしょうか。


また言語が不自由というのは中々に辛いです。ここぞというときに自分が思っていることを伝えられないのはもどかしいです。ただその気持ちを忘れないことで語学を上達させられる気がします。必要となれば学ぶしかないのです。まあ確実に日本でもっと英語(+ドイツ語)を勉強しておけばよかったというのは確かです(まあ追い詰められないとやらない性格なのでどうしようもなかった気もする...)。

生活だけでなく、仕事でも大変です。英語力も会社で一番低いみたいな状態で来たのでミーティングで何を言っているか分からない場面も多々ありますし、勿論昼食での雑談で皆が笑っている中自分だけ何を言っているのか理解できないみたいな状況は起こり得ます。まあそれでも段々と慣れていくし、誤解を生まないために伝えないといけないことは伝えないといけません。相手に理解されなかったことで感傷的になるときもありますが、それでも会社で働いて給料を貰っている以上、伝える努力をして自分が提供できる価値を提供して作るものを作らないといけません。大変です。 ただインターナショナルな職場で働くというのは面白いです。僕らは全く違う人間で感性、思想、宗教ベースだとわかり合えない人間もいる中で、開発の手法だったり社会のルールを守ることで一緒に経済活動ができるというのは興味深いです。



勿論移民として働くというのは不利なだけではありません。自分が持っているアドバンテージを最大限活かすのは大切です。

例えば日本人というアドバンテージから、日本好きの現地人と友達になるのは良いアイデアです。 自分の場合、剣道好きのオーストリア人なら日本好きがいるに違いないという仮説のもと地域の剣道クラブに参加して、非常に親しくしてもらえました。彼らにオーストリアの習慣や人々の考え方を教えてもらいそれによってどうコミュニケーションを取れば良いのかを学べたのは非常に良い経験でした。

日本の食事を振る舞うというのも良いアイデアです。チリ人の友人にラーメンを振る舞ったらラーメンの虜になってしまい、そこから現地の日本人店員が一人もいない日本料理店で良くラーメンを食べる関係になりました。元々自分は美味しいラーメンを現地で食べれないことで禁断症状を起こしてしまい、現地で手に入れられる食材でどう自分のラーメン欲を満たすか苦心したことが始まりですが、結果的に自分が作った料理で誰かが喜んで興味を持ってくれたのは嬉しかったです。


他にも現地で移民として生活している人たちとは仲良くなりやすいです。似たような経験を持っていることもあり親しくしてくれます。ラテンアメリカの人たちやインド人は気さくであることもあり関わりやすく仲良くなりやすかったです。また現地で生きていく覚悟を決めた人たちから貰うアドバイスは非常に有益です。と同時に日本という国は(まだ今の所)豊かで必ずしも多国語を学ぶ必要がなかったり、移民として定住しなければ豊かな暮らしができないわけではないというのは幸せです。

余談ですがイラン人の友人に、「ヨーロッパと日本は良いよな、生まれた場所で何でこうも違うのか、ずっとそんなことが頭に付いて纏う」という話をされたときがあります。人間はどうしようもなく持っているもので生きていくしかないのは確かなのですが、違った観点の意見を直接聞くことで自分が見えなかったものを考えるきっかけを得られます。また少し優しくなれるかもです。



学生のうちに海外インターンをするということ

学生というか、若いというのは素晴らしいです。 学生(インターン)という立場であるために、必ずしも長期間(数年以上)働く必要もないです。そのため気軽に海外就労経験を積めます。また給料が出るので学生であってもお金を浮かして海外生活を経験できます。失敗もしやすいです。

また英語や専門スキルの要求レベルも正社員に比べたら低いです。経験を積まなければ上達しないのにそもそも最初の経験を積むことができないということは年を取るにつれてどんどん増えていきます*1。若さを最大限使えば良いと思います。


理系というのは国外で働くのに非常に有利です。理系の技術は国依存であることが比較的少ないですし、語学力が足りなくても少し専門技能を持っていれば採用されやすいです。また大学の学生課 国際担当が結構理系向けのプログラムを用意してくれています。

因みに自分はIAESTEというプログラムを使いました。STEM*2などの分野で国際的にインターンシップ機会を提供する非営利法人です。この記事の目的と反するため詳細は省きますが、このプログラムに申し込んでIAESTEと提携している現地企業と面接して(しない場合もあるらしい)現地に派遣されるといった感じでした(もし渡航までの詳細を知りたければ個人的に伝えるか別記事を書きます)。

実際に現地で生活するときにIAESTE現地法人のボランティアの人達が生活を助けてくれたり、イベントを開いてくれたり、他のインターン生と仲良くなれるのは大きなアドバンテージです。

また期間に関して比較的柔軟なのもアドバンテージです。企業もしくは向こうの大学*3が合意してくれたら、自分が希望する期間滞在できます。そのため夏休みなどに短期でインターンするのも良しだし、休学して長期でインターンするのも良しです。因みに個人的な意見ですが、現地での移民としての生活をより理解したかったら、生活の良し悪しがわかる長期インターンはオススメです。

もちろんインターンと言う名目の元安給料で働かされるようなこともなくしっかり給料も支払われます。そこは安心して下さい。

iaeste.or.jp


まあ他にも色々なプログラムがあるので自分に合ったものを探してみればいいと思います。

www.st.keio.ac.jp


終わりに

長々と書きましたが、これを機に海外インターンに興味を持って行ってみたいと思っていただけると僕も嬉しいです。 コロナも終息しつつあり*4、数年前に比べたら確実に行く敷居は減っています。 何かと興味を持って気になることがありましたら気軽にコメントもしくは連絡して下さい。


*1:正直これが横行すると完全に親の格差が子供に伝播してしまうので、社会が個人の年齢に関わらずいつでも新しいことを学び始めることを支援するべきである

*2:Science, Technology, Engineering, Mathematics

*3:研究インターンというものもある。何なら大学でのインターンの方が柔軟かもしれない

*4:ヨーロッパでは特に

Jenkinsのパラメータに特殊文字が含まれている状態でシェルに適切に渡すには

詰まったのでメモ


ユースケースと課題

例えばPipelineのパラメータとして以下のプレースホルダーに作成したいファイル名を記載するとき


ファイル名にホワイトスペースやシングルクオートといった特殊文字を入れたくなるときがある。

Jenkins内で扱うだけならまだ良いが、シェルスクリプトコマンドライン引数などとして投げるとき、シェルがうまくパースしてくれない場合がある。非常に詰まって時間を費やしてしまったので後進のためのメモ。

解決策

Groovyファイル側で一度パラメータをエスケープしてあげ、その後シェル側でエスケープシークエンスを評価する。 今回は簡単のためホワイトスペースとシングルクオートのみを考慮に入れる。

まずJenkins側でパラメータ内の特殊文字エスケープする。これはシェル側で正しくエスケープシークエンスを評価できるようにするための処理。

EscapedOutput="${SomeParam.replaceAll(/('| )/, /\\$0/)}"

次にコマンドライン引数のオプションとしてシェルに投げる。このとき直接Jenkinsの変数を展開してしまうと、エスケープシーケンスを正しく評価できない。 例えば、 echo 'test\'test'のような場合、最後のシングルクオートが閉じられていないと解釈される 。

そこで$'文字列'のように記載してあげる必要がある(因みにこれはbashでのみ利用可能でshでは利用可能でないことに注意)。 ただGroovy側では$特殊文字なので\$のように書いてエスケープしてあげる必要がある。あくまでもシェルに解釈してもらいたい。

注意点として、shコマンドはGroovyではbashではなく無印shを呼び出してしまうので、

sh "#!/bin/bash \n" + "./script.sh --outputname \$'${EscapedOutput}'"

のように明示的にbashで実行してあげる必要がある。

これでスクリプト内で適切に変数が展開される。


最終的なコードは以下のような感じ。

stages {
        stage('build') {
            environment {
                EscapedParam="${SomeParam.replaceAll(/('| )/, /\\$0/)}"
            }

            steps {
                sh "#!/bin/bash \n" + "./script.sh --outputname \$'${EscapedOutput}'"
            }
        }
}

続く。。。

旅行ボーナスが終わって気づいたら残り1ヶ月になっていた

どうもyapattaです。

なんかもう10月なのです。遂に労働終了まで残り1ヶ月!

そして今週末久しぶりに特にやることも無く(恐らく同僚とUrfahraner Herbstmarkt*1に行くぐらい)、久しぶりに日記を書いている。

 

先週までは怒涛だった。東欧旅行ボーナス期間が終わったと思ったら、次は休む間も無く剣道ボーナス期間に入っていた。先週末はプラハの剣道大会*2に出場したし、先々週末はあろうことかルクセンブルクからコーチが来て土日連続で二部連をしていた。ここまで剣道をするとは誰が想像していただろうか。自分もびっくりである。折角プラハに2泊3日で来たのに旅行は一切せず一日中体育館に居たのである。とは言え団体で3位、個人でベスト16になったし、非常に楽しく剣道ができたので満足としたい。

剣道やっているオーストリア人で日本嫌いはいる訳ないだろという仮説のもと友達作りぐらいの気持ちで始めたものの、今となっては非常に楽しくなってしまった。暗黙の強要があるわけでもなく個々人が剣道を愛している環境が最高なのだ*3

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東欧旅行ボーナスの最終回はルーマニアブカレストだった。ブダペストと非常に名前が紛らわしい*4オーストリアと違って9月中旬であっても全然半袖で旅行できるぐらい暖かった*5。旧市街や中心地は非常に綺麗だが少し離れると途端に汚い街が広がって面白い。コミュニズム的無機質な建物もいっぱいである。道路が綺麗に舗装されているとは言い難く、ガタガタの割れた道路を時速25kmで走るのは非常にスリル満点で楽しかった*6

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因みにブカレストの観光地の大半はチャウシェスク関係もしくは寺院に集約される。チャウシェスクが与えた影響が大きすぎるんだ。そして真っ先に挙がる観光地は間違いなく国民の館(Palace of the Parliament)であろう。ただ当時国際フォーラムのせいで一般人は立ち入り禁止になっており、外観を見ることしかできなかった。これは非常に悲しい。ただ外から見ただけでもその巨大さには圧倒される*7

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国民の館に入れなかったのは非常に悲しいが、チャウシェスク成分を堪能せずにルーマニアを去ることなどできないと思い、訪れたのがチャウシェスクマンションであった。チャウシェスクマンションとはニコラエ・チャウシェスク元大統領の私邸である。豪華絢爛であり、屋内庭園や巨大なプールが存在する。更にチェス用の部屋も存在する。1980年代当時としては珍しくチェス対戦用CPUなどもあった。誰もチャウシェスクにチェスで勝てた人は居なかったとガイドが話していて、さり気なくコミュニズムジョークを混ぜてくる。

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邸内にある展示用のトイレと屋外にある観光客用のトイレの格差に圧倒され革命を起こしてしまいそうになった。

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これはHouse of the Free Press(Casa Presei Libere)というもの。ルーマニア共産党の新聞社である。この無機質なディストピア感がなんと言っても溜まらない。

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ブカレストと言えば第一次世界大戦勝利記念の凱旋門

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ルーマニアでは無事問題もなかった(ここ数十年で非常に治安が良くなっているし、自分でも十分気をつけた)が、あろうことか帰宅途中、オーストリア国内で携帯電話を紛失してしまった。更にリンツ市内でである。完全にホームに帰ってきた気持ちで気が抜けていた。自分のIPhoneが古いこともあってバッテリーを少しでも長持ちさせようとFind My Phoneをオフにしていたのも完全に裏目に出た。どこにあるのかすらわからない。胸の中でアムロの言葉が何度も再生された。

身構えている時には、死神は来ないものだ。ハサウェイ···

ということで旅行翌日から大変である。警察、市役所落とし物サービス、鉄道会社、市電会社、へと送れるだけメールを送った。また携帯を悪用される場合に備えてプロバイダに電話してSIMに利用制限もかけた(上司がドイツ語に関して助けてくれて非常に助かった...)。流石に異国の地で携帯を無くすと何もできなくなる(Google翻訳も使えなければ、Mapも使えない)し、メンタルに相当来る。まあとは言え財布を無くすよりはマシだったと自分に言い聞かせて強い気持ちで労働に向き合っていた*8。勿論労働に集中できるわけもなく、脳死で無意味にLinuxコマンドを叩くなどの行為が増えていた。

そして放心状態のまま数日が経ち、苦肉の策として新しい白ロムでも購入しようかとネットサーフィンをしていたそのとき、ついに市役所の落とし物サービスからメールが届いた!どうやら親切な人が携帯電話を届けてくれたらしい!びっくりである。オーストリアが治安が良いとは前々から聞いていたが、こんなことが起ころうとは!とは言えここで喜びすぎると、もし届けられていた携帯電話が自分のとは全く違うものだった場合メンタルがぶっ壊れそうになるので、翌日期待しすぎないで落とし物サービスに向かうことに。しかしいざ行ってみたらそれは紛れもなく自分の携帯電話で、5年生活を共にしてこれほど愛おしく思えたことはない。携帯電話を開いてみたら誰かがイタズラで写真を撮っていて普通に怖かったが、利用統計を見てみたらロック解除されたわけでもなくカメラのみ使われていたことが確認できたのでひとまず安心である。

深夜に撮られたイタズラ写真、ただ影だけで恐ろしい。

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という感じで9月はドタバタだったが、何とか乗り越えられた気がする。あと一ヶ月オーストリア生活楽しむぞ〜。

*1:Linz版Oktober Festivalのようなもの

*2:Toru Giga Prague Kendo Cup 2022というもの

*3:一方、高校のとき部活の文化が嫌いで辞めてしまった

*4:マイケル・ジャクソンがLive in Bucharestで間違えてブダペストって言ってしまったとか

*5:オーストリアでは9月でもう気温が15℃ほどになるし10月は10℃前後になる

*6:Boltという電動スクーターサービスを使った。なんとルーマニアでは最高時速25km出る(クラコフでは最高時速20kmだった)

*7:ペンタゴンに次ぐ世界で二番目に大きな建物である。部屋数が多すぎて部屋のうち66%は使われていないとか

*8:どんなに辛い状況になったとしても労働をしなければならないのは時に残酷である。ただ同僚と話して少しは気を紛らわせたのも確かである

2カ月ぶりに書くオーストリア生活(と思ったが実はブダペスト旅行記だった)

久しぶりです、やぱったです。

最近ブログを書けなかった。理由はしんどい時期が続いてその後急に人生が楽しくなったからだ。どのみちこの二ヶ月に色んなことが起きてわたわたしてたのでブログを書くことをすっかり忘れてしまっていた。

 

取り敢えずこの二ヶ月はめちゃめちゃ旅行を詰め込んだ。挙げられるだけで、ブラチスラバ、グムンデン、バドワイズ、プラハインスブルックザルツブルク、ウィーン、ハルシュタットリュブリャナ、リエカ、クラコフ、ブダペストと詰め込めるだけ詰め込んだ。因みに今週末はブカレストに行く。ルーマニア、高校のときにチャウシェスクのドキュメンタリーを見てから行きたくて仕方がなかったためやっと夢が叶いそうで非常に嬉しい。ただオーストリアの人に聞いてもあまり良い噂を聞かない。

元々、労働に対する鬱屈とした気持ちを解消するためにヤケクソで旅行計画を立てていた。まあヨーロッパにいる時間も限られているのでヤケクソで旅行に行くぐらいが丁度いい。ただ、旅行することで人生にメリハリが付いたのは事実で、仕事に対しては少しは前向きになったし、他のインターン*1と仲良くなったし、英語も話す機会が増えたので、少なくともお家でクネクネするよりはマシな気がしてる。

 

因みにブダペストに対する満足感はめちゃめちゃ高い。実はブダペストは温泉都市として有名。自分はLukacs Bathsという大衆浴場に来たのだけれど、もうテルマエ・ロマエみたいな感じで優雅。お湯の温度が日本のより少し低くて永遠に湯船に浸かっていられる。値段は7600フォリント*2。そんなに安くない、まあプール付きスーパー銭湯ということで大目に見る。

これが外観。

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中はプールだけ写真を撮れた。

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ブダ地区とペスト地区を区切るドナウ川。ボートツアーは70分で11ユーロ(こっちは逆に異様に安い)。ドナウ川を周遊できる。夜景が素敵。左側に国会議事堂が映っているのがわかる。

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あとハンガリーと言えばLangos。コミュニズム政権時代に肉が高くてあまり食べれなかったということで、パン生地にガーリックとチーズとサワークリームを載せてピザのように食べていたとか。巷ではコミュニズムビザと呼ばれてるらしい。中々に脂っこくて美味しいがさすがに毎日は食べたくない。ハンガリーラーメン二郎みたいな感じか。

ブダペスト中心地にあるLangos Papiという店のLangosがまじで旨かった。ただ帰りのバスに間に合うために急いでいて写真を撮れなかった、残念。

まあこの記事でも参考にしてくれたら。

momenttravel.hatenablog.com

とにかくブダペストは楽しすぎた。別に物価が他の東欧諸国ほど安いわけでもないし、リンツから近いわけでもない*3けれど、何もかもが面白かった。ソビエトモニュメントが建っているすぐ近くにロナルド・レーガン像が対面しているし、アメリカ大使館が建っている。現地の人曰く政治的バランスを取っているとかいないとか。

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少し歩くと中国銀行ハンガリー支店もあって中国資本もしっかり流入している。あらゆるものに好奇心がそそられる。

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ハンガリーの歴史が色んな巨大勢力に飲み込まれながら進んでいくことが良く分かる。

 

ところで労働について。鬱憤とした気持ちが一変、ここ一ヶ月で大分前向きに取り組めるようになった。英語力が向上して長時間聞くのと話すのにストレスを感じなくなった*4のと、考えなくて良いことを無理に考えないようになったのが大きい。また会社のドメイン知識も徐々にわかるようになって自発的に考えられる領域が増えていった。暗闇を乗り越えたことは自信に繋がったし、日本に帰国してからも引き続きそれらの能力を向上させていきたい。できないことができるようになるのはやっぱり楽しい。

こっちにいるうちは技術力向上を犠牲にしても人生を楽しもうと思っていたが、人生を楽しもうぐらいのスタンスの方が英語力が向上するという実感がある。楽しいほうが肩ひじ張らずにどんどん話せるし、失敗も恐れなくなる。

どうなるかと思ったが、いい感じの方向に向かっていて本当に良かった。

*1:同じプログラムを使ってオーストリアにいるインターン生を誘ったり誘われたりで旅行した

*2:大体19ユーロ、日本円で2500円ほどか

*3:電車で片道4~5時間ほど

*4:ここ2, 3週間で急に聞き取れる量が増えた気がする

五日ぐらいバカンスして労働を忘れた話

久しぶりに更新するyapattaです。

今絶賛三カ月目を経験中で、精神が非常に不安定である。例えば英語で会話するのが急に怖くなったり、将来に対する漠然とした不安が襲ってきたり、そもそも人間とコミュニケーションを取るのが怖くなったり、と色々である。これらの情動が目まぐるしく頭の中を行き来する。つい直前までは悲観的だったのが楽観的になったり、また逆も然り。まあ不安定なときあるあるの症状である。

 

因みにそれはイタリアを旅しているときも気を抜くと不安が襲ってきた。炎天下の中歩いたり、観光地を見たり、ガイドの説明を読んで強制的に頭をスッキリさせていた。

毎日旅をするうちに悩みってのも段々と変わってきてそれはそれで面白かった。

例えば初日ミラノに居るときは、人生における何かこれから起こるかも知れない失敗を想像以上に恐れたり、これから観光地巡るの面倒いなあとか大分鬱々とした気持ちだった。ただBrera美術館に入って、クレカ機械が動かなくなって面倒くさくなった受付がタダで入れさせてくれたり、ホステルでインド人と雑談したりと何かしらのイベントがあって気が紛れてきた。

二日目はイタリアの大学で勉強している日本の友人と会って、Leccoという湖畔の町に訪れた。Luganoに当初行こうと思っていたが、鉄道員ストライキで電車がキャンセルになっていた()。因みに鉄道員ストライキが大変大変。行きの鉄道は見つかったのに帰りの鉄道が来ない。ある駅員は今日はもう電車が無いと言い出してチケットを売ってくれない。そこで町中でタクシーを探す。タクシーだと100ユーロかかるのでできれば乗りたくない*1。タクシーが見つからなくて、再び駅に行くと電光掲示板にキャンセルになってない電車を見つけた!別の駅員に聞いたらチケットをあっさり売ってくれた。意味が分からん。トラブルもありながら無事帰ってくることができた。トラブルがあったとは言えLeccoはチルするのにオススメのスポットである。水質が非常に綺麗だし湖独特の生命の香りが心地良い。

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そもそもストライキに直面すると悩みなんてどうでも良くなる。自分ではどうしようもできないし、ミラノに帰るために必死でそんなことを考える余裕がなかった。

三日目はローマへ鉄道で向かった。ローマはミラノと全然違う街で、あっちがビジネス街ならこっちは歴史を引きずった重厚な街。バチカン美術館なんて本当に素敵で、古代ローマの彫刻など永遠に眺められてしまう。とは言え自分はそこまで詳しいわけでもなく頑張って説明文を読んで理解しようとするのだが、集中力には限界があってうとうとしてしまう。それでも、これは良いな!みたいな作品が見つかってせめてそれを忘れないように心に刻むのだ。

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Personification of Autumnって彫刻で西暦2世紀のものらしい。オータムがブドウの冠をかぶって、キューピットたちがブドウの収穫をしている。オータムとキューピットの関係性からか彫刻なのにここまで生き生きしていて慈愛に満ちているのか、と驚いた。

因みに王道のコロッセウムやローマ遺跡にも行って来た。大勢のストレス解消のために誰か*2を見世物にするのは今も昔も変わらない。またサンピエトロ大聖堂だって、免罪符販売で巻き上げた金で改修しようとしてたわけだから、今の新興宗教とやってること変わらねえなと面白くなってしまった。どこか人間臭さを感じて安心してしまった。

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ローマに行きたいと思った理由にローマの休日という映画があった。浪人期、センター試験の後に思い立ったように見た。お互いの立場を忘れた束の間の、ただ心からその瞬間を楽しんでいたデートに時間が有限であることの切なさを感じた。儚いのだけど、確かにかけがえない貴重な時間が自分を作り上げていくのだろうな。え、この時間も?悩んでいる暇なんてないとわかってはいるのだけれど、現実は難しい。まあ時間が解決することもある。

ところでローマで食べたパスタがうまい。茹ですぎずに芯が残っているぐらいで、二郎に近いモノを感じる。最近の自分は麺類を何でも二郎に例えてしまうぐらいに二郎が恋しくなっている。日本の米を食べれないことにストレスをあまり感じてなかったが、それ以上にラーメンに対する恋しさがよりいっそう募る。ラーメン愛が爆発しそうになったらまた作ろうと思う。

 

労働を忘れてバカンスをしていて気づいたことだが、僕は社でエンジニアの移民たち*3とずっとコミュニケーションを取っていたし、寮でも留学生と話すことが多かった。どこか自分も彼らみたいにオーストリアに住むのかなあって思っていた。気づかないうちに影響されていた。別にアルゼンチンのようにハイパーインフレが起きるわけでもないし、ウクライナのように祖国を追われるわけでも無い。日本は相対的に豊かである、経済衰退してるとしても。いつでも日本に残れるし、別にオーストリア生活も、英語力向上も、人生の暇つぶしなのかなあって考えたら気が楽になった。何かの課題を考えすぎると、自我が邪魔して逆にうまく振る舞えなくなることがある。それよりは暇つぶしなんだしと諦めるぐらいの方が肩の力が抜けて逆にうまくいく。因みに英語力だって今まで必要ないから低かったわけで、段々とどうにかなるのかも知れない。

 

何だかんだ旅をしながら色々考えて不安と向き合えた。急にスッキリすることは無いし、自分が急に変わることも無いんだけれど*4、時が経つにつれて段々と変化していくのだと思う。それにはポジティブな感情もネガティブな感情も含まれていて、うまくバランスを取って進んでいく。それは自分以外に変えられないし変えられなくて良いのだと思う。

最後にこっちの友人が言っていた言葉で、

Life has its ups and hills. I wouldn't have it any other way

好きになっちゃった。

*1:電車だと片道5ユーロほど

*2:今回は剣闘士

*3:エンジニアに関してはオーストリア人より移民の方が多い

*4:急に変わるとしたら何かしらのマインドコントロールを受けている可能性が高い