五日ぐらいバカンスして労働を忘れた話

久しぶりに更新するyapattaです。

今絶賛三カ月目を経験中で、精神が非常に不安定である。例えば英語で会話するのが急に怖くなったり、将来に対する漠然とした不安が襲ってきたり、そもそも人間とコミュニケーションを取るのが怖くなったり、と色々である。これらの情動が目まぐるしく頭の中を行き来する。つい直前までは悲観的だったのが楽観的になったり、また逆も然り。まあ不安定なときあるあるの症状である。

 

因みにそれはイタリアを旅しているときも気を抜くと不安が襲ってきた。炎天下の中歩いたり、観光地を見たり、ガイドの説明を読んで強制的に頭をスッキリさせていた。

毎日旅をするうちに悩みってのも段々と変わってきてそれはそれで面白かった。

例えば初日ミラノに居るときは、人生における何かこれから起こるかも知れない失敗を想像以上に恐れたり、これから観光地巡るの面倒いなあとか大分鬱々とした気持ちだった。ただBrera美術館に入って、クレカ機械が動かなくなって面倒くさくなった受付がタダで入れさせてくれたり、ホステルでインド人と雑談したりと何かしらのイベントがあって気が紛れてきた。

二日目はイタリアの大学で勉強している日本の友人と会って、Leccoという湖畔の町に訪れた。Luganoに当初行こうと思っていたが、鉄道員ストライキで電車がキャンセルになっていた()。因みに鉄道員ストライキが大変大変。行きの鉄道は見つかったのに帰りの鉄道が来ない。ある駅員は今日はもう電車が無いと言い出してチケットを売ってくれない。そこで町中でタクシーを探す。タクシーだと100ユーロかかるのでできれば乗りたくない*1。タクシーが見つからなくて、再び駅に行くと電光掲示板にキャンセルになってない電車を見つけた!別の駅員に聞いたらチケットをあっさり売ってくれた。意味が分からん。トラブルもありながら無事帰ってくることができた。トラブルがあったとは言えLeccoはチルするのにオススメのスポットである。水質が非常に綺麗だし湖独特の生命の香りが心地良い。

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そもそもストライキに直面すると悩みなんてどうでも良くなる。自分ではどうしようもできないし、ミラノに帰るために必死でそんなことを考える余裕がなかった。

三日目はローマへ鉄道で向かった。ローマはミラノと全然違う街で、あっちがビジネス街ならこっちは歴史を引きずった重厚な街。バチカン美術館なんて本当に素敵で、古代ローマの彫刻など永遠に眺められてしまう。とは言え自分はそこまで詳しいわけでもなく頑張って説明文を読んで理解しようとするのだが、集中力には限界があってうとうとしてしまう。それでも、これは良いな!みたいな作品が見つかってせめてそれを忘れないように心に刻むのだ。

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Personification of Autumnって彫刻で西暦2世紀のものらしい。オータムがブドウの冠をかぶって、キューピットたちがブドウの収穫をしている。オータムとキューピットの関係性からか彫刻なのにここまで生き生きしていて慈愛に満ちているのか、と驚いた。

因みに王道のコロッセウムやローマ遺跡にも行って来た。大勢のストレス解消のために誰か*2を見世物にするのは今も昔も変わらない。またサンピエトロ大聖堂だって、免罪符販売で巻き上げた金で改修しようとしてたわけだから、今の新興宗教とやってること変わらねえなと面白くなってしまった。どこか人間臭さを感じて安心してしまった。

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ローマに行きたいと思った理由にローマの休日という映画があった。浪人期、センター試験の後に思い立ったように見た。お互いの立場を忘れた束の間の、ただ心からその瞬間を楽しんでいたデートに時間が有限であることの切なさを感じた。儚いのだけど、確かにかけがえない貴重な時間が自分を作り上げていくのだろうな。え、この時間も?悩んでいる暇なんてないとわかってはいるのだけれど、現実は難しい。まあ時間が解決することもある。

ところでローマで食べたパスタがうまい。茹ですぎずに芯が残っているぐらいで、二郎に近いモノを感じる。最近の自分は麺類を何でも二郎に例えてしまうぐらいに二郎が恋しくなっている。日本の米を食べれないことにストレスをあまり感じてなかったが、それ以上にラーメンに対する恋しさがよりいっそう募る。ラーメン愛が爆発しそうになったらまた作ろうと思う。

 

労働を忘れてバカンスをしていて気づいたことだが、僕は社でエンジニアの移民たち*3とずっとコミュニケーションを取っていたし、寮でも留学生と話すことが多かった。どこか自分も彼らみたいにオーストリアに住むのかなあって思っていた。気づかないうちに影響されていた。別にアルゼンチンのようにハイパーインフレが起きるわけでもないし、ウクライナのように祖国を追われるわけでも無い。日本は相対的に豊かである、経済衰退してるとしても。いつでも日本に残れるし、別にオーストリア生活も、英語力向上も、人生の暇つぶしなのかなあって考えたら気が楽になった。何かの課題を考えすぎると、自我が邪魔して逆にうまく振る舞えなくなることがある。それよりは暇つぶしなんだしと諦めるぐらいの方が肩の力が抜けて逆にうまくいく。因みに英語力だって今まで必要ないから低かったわけで、段々とどうにかなるのかも知れない。

 

何だかんだ旅をしながら色々考えて不安と向き合えた。急にスッキリすることは無いし、自分が急に変わることも無いんだけれど*4、時が経つにつれて段々と変化していくのだと思う。それにはポジティブな感情もネガティブな感情も含まれていて、うまくバランスを取って進んでいく。それは自分以外に変えられないし変えられなくて良いのだと思う。

最後にこっちの友人が言っていた言葉で、

Life has its ups and hills. I wouldn't have it any other way

好きになっちゃった。

*1:電車だと片道5ユーロほど

*2:今回は剣闘士

*3:エンジニアに関してはオーストリア人より移民の方が多い

*4:急に変わるとしたら何かしらのマインドコントロールを受けている可能性が高い