一日活動を終えて疲れて帰宅する
疲れていたとしても関係ない、ソファに寝転がり習慣のように携帯を眺めてしまう
もちろん何か明確な理由があるわけもなく作業のように義務のようにTwitterを開く
ただ疲労感に包まれたそんなときはもれなく理性のフィルターが破れてしまっている
無防備な自分には危険すぎる、溢れ出す情報の嵐
一つ一つの言葉がいとも簡単に心を揺れ動かす
別に後悔はしていない、そもそも後悔できるほどのエネルギーが残されていなかった
ただ漠然とした不安に襲われる
抑えるブレーキが作動しなくて不安のスパイラルに陥ってゆく
メタ的に認知して、流れを断ち切れれば良いのかもしれない
そんなことを考える余裕も無いんだけど、本能的に身体が自分を守ろうと布団にダイブして強制的にシャットアウトさせる
はっと目が覚める
さっきまでの暗かった気持ちが嘘みたいだ
将来の不安なんてこんなものなんだろう、不安に襲われている自分に酔っていただけなのかもしれない
冷静な自分を見つめ返して安堵する
あーあ、疲れ切ってしまうとき、疲れた自分に酔っていると容易に身体がジャックされてしまう
ジャックされていることに気づいてスパイラルを定期的に打ち消さないとその疲労をどんどん溜め込んでさらに気づきづらくなる
気づいたらジャックされた状態がデフォルトになっていく、そうなったら心がぶっ壊れるのも時間の問題だ
自分の脳みそのフィルターは役に立たないのだとつくづく感じさせられる
インターフェイスを通じて流れてくる情報をうまくシャットアウトできなくて、バッファにどんどん溜まっていく
良いことも悪いことも分け隔てなく入ってくる、情報を詳細にまじまじと回想できるのはいいのかもしれないが
別にバッファ容量もそこまで多くないから、情報過多になると簡単にオーバーフローを起こしてしまい脳がプシューっと煙を上げる
煙を上げているときにその不調に気づいてバッファを整理できれば良いんだろうな
そう、こんな話をしたのは久しぶりに自分の脳みそと特性が近い人と話す機会があったからだ
ここで詳細について語っちゃうと恥ずかしいから何も言えやしないのだけれども、文章を書いて誰かが自分自身の実感に近いものを感じてくれたり何かと役に立ってくれたら万々歳だ
ああ、あと自分が実感していることが確かに存在するものであることを証明するために書いているのかも、これは完全にエゴだ