小説を書いた

元旦早朝2時、私はウラジオストクのホテルにいた。空気が張り詰めていた。友人が究極の選択を迫られていたからだ。

経緯を説明しよう。

語学クラスが同じだった友人とノリで決めてしまった年末ウラジオストク旅行、 寒いときに寒いとこ行けば楽しいんじゃねという逆張り精神を発揮し気温-18℃のウラジオストクへ。

寒さには何とか耐えつつもウラジオストクを心ゆくまで堪能していた。 ユーラシア大陸の最東端にありながらも、日本とは似つかない異国情緒溢れる都市。雪景色とともに映る西洋建築は魅力的であった。

いよいよ最終日、我々はかねてからの目的であった平壌レストランに訪れた。名前から分かる通り北朝鮮が外貨稼ぎのため営業しているレストランだ。

得体のしれない恐ろしい存在、だが好奇心が勝りいざ平壌レストランへ。

食事はお世辞にも美味しくなかった。キムチ鍋を頼んだのだが野菜と汁が混ざり合わない、キムチはキムチの味だけがするし、野菜はそれぞれ野菜だけの味がする。何かが物足りない、調和がない。

まあそんなことはどうでもいい、これから起こる出来事に対してはどれも些細なことだった。

我々は食事を終えてホテルへの帰路についた。

氷点下の雪道、会話がはずみ何にも後ろ髪ひかれることがないままホテルにたどり着いた。

部屋に到着後事件が起きた。

友人の一言からそれは始まった。


「あれ、携帯がない?」


私は不思議がった。40分の帰路の間一度も友人は携帯が存在しないことに気づかなかったいうことだ。一度もだ。そんなことあるか

まあ起きてしまったことはしょうがない、私も探すのを手伝った。

しかし見つからない。おかしい

そこで我々はGPS探索機能を用いて彼の携帯の位置情報を特定した。

ここは、

平壌レストランだった

どうやら平壌レストランに携帯電話を置き忘れたらしい。

得体のしれない場所に置いていったことに慄いたが同時に楽観していた。場所がわかったならあとは回収するだけだ

今が営業時間内だったらすぐに受け取りに行き、時間外ならば明日受け取るだけだ

ということで営業時間を調べた。今日はあと残り10分で閉店、翌日は正午に開店することがわかった。

参ったな

今ホテルから向かっても間に合わない、さらに翌日は11時40分発の飛行機で帰国するときた。

取り敢えずホテルの受付に事情を話して、レストランに電話してもらった。これで出てくれたら取り敢えず安心だ、ほっと息をついた。

しかし期待は簡単に裏切られた。何度かけても電話に出ない

ここに来て我々は究極の選択を迫られた。

平壌レストランに携帯を置いていったまま平常便で帰国するか、もしくは帰りの便をキャンセルして翌日開店と共に平壌レストランに携帯を取りに戻るかだ。

前者は携帯を完全に放棄する代わりに予定通り帰国できるが、放棄した携帯が得体の知れない国に流通されるというリスクもあった。

後者は飛行機代をドブに捨てる代わりに携帯を取りに戻れる、しかし取りに戻ったとしても受け取れるとは限らないというリスクがあった。

私は彼にこの二つの現実的な案を提示したが、彼は放心状態で思考をするどころではなかった。突然私に対して逆ギレをするような状態であった。

結局我々は前者を取った。遠隔から携帯のデータを全消去することができることを知ったからだ。

取り敢えず帰国の目処がついた、安心した、これ以上面倒事に巻き込まれたくなかった。

ただこの後別の面倒事が始まった。

彼が壊れたラジオのように同じことをひたすら私に話しかけてくるのだ。彼なりに現状に適応しようとしていたのだろう。

「俺は改心した、旧社会主義国家などもう古い、次は絶対に行かない、、云々、、」

気づいたら深夜5時になっていた。

乗る予定だった飛行場行きの電車は7時発であったため今から寝ても起きれるか心配だった。

結局1時間ほど仮眠を取り6時に目を覚ました。

彼はあいも変わらず放心状態だった。

自分がしっかりしないと帰国できないぞこれ、責任がのしかかった。

とんでもない年始になってしまったな