最近読んだ本(2021年3、4月)

読んだ本、読んでいる本。

自分一人で読むだけでなく友人と一緒に本を読むと読む効率が上がった気がする。

期限を決めて読んで、更に本の内容について人と話せるのは効率が良い気がする(自分一人だとどうしてもだらける)。

因みに前半は自分の布教が多く書かれているので、技術書についてのみ知りたかったら後半から読むことをおすすめする。

李香蘭 私の半生

満州国についてハマっているのでそのノリで山口淑子こと李香蘭について。

満洲映画協会随一の女優であり満州国の映画事情を語る上でこの人は外せない。

日本人であるが中国語と日本語が堪能であることを買われ、国籍を隠して中国人女優として国策に担ぎ出されてしまった。

中国自体に思い入れもある一方日本人であるというアイデンティティも重なり本人自身相当苦しんでいたことがわかる。 ずっと日本人であることを伝えられずにある中国人からは漢奸のように批判され、ある日本人からも三等国民のまねごとと批判されたものの、女優として活躍し続けた。

ほぼ自分と年が同じ一人の女性がその重圧を背負っていたと思うと、末恐ろしいし自分は耐えきれないだろう(ただこれを続けることも必ずしも正解でないから耐えきれないことには早めに耐えきれないと言ったほうが良いのだろう、彼女は純粋な女優業、歌手としての仕事は好きであったというのもありそう)。


記憶に残った言葉として、李紅蘭が満映を辞めたいことを岩崎昶さんに相談したらこんなことを

「契約というものはね、破るために結ぶものだよ。電車だって、切符を買うのは、乗って降りるためじゃないか。余計な神経は使わずに、自分の信じる道を歩くことだね」

これは今でも当てはまる。 信頼できる大人がこう言ってくれるだけで、どれほど心強かったか。思いを受け止めて背中を押してくれる人がいるだけでどんなにありがたかったか。

相談に乗ってもポジショントークをしてしまい結局わかってもらえないんだなと幻滅させる人が多い中であっても、できる限り共感できる人間になるぞ(このできる限りが重要)


この本を読んでいておもろかったのは、80年前に自分がまるでいるかのように鮮明に出来事が回想されていることだ。

日本史の教科書で読んだ甘粕正彦がまるで目の前にいるかのような。歴史上の人物の飲み会の席でのおちゃめな話を聞くだけで急に親近感湧くよ。

これはスポーツでの試合でも言えそうだなと思って、どんなに強い相手チームのエースでも日常生活の話を聞いたら普通の人間なんだなとなって緊張が解けるのに近いな。


でさらに面白かったのは、決して当時の映画が単調なプロパガンダ映画というわけではなく、映画人たちは軍国主義に必ずしも迎合しない歴史に残る映画を作ろうと努めていたことだ。

映画「黄河」では、現地に行き日本軍が河川を氾濫させたせいで黄河流域の農民が割りを食っていたことがまじまじと伝えられた(被災者は一千万人を超えていた)。 同時に李紅蘭が慰問した際、日本兵が故郷の母親に思いを寄せたり、寂しさをわかちあっていたのが印象的だ。

割を食うのはいつだって現場の人だと。ん、オリンピック...?ああ...

本当にIOCとそれが守るに値するほどの契約なのかね...?とだけ言っておく


「萬世流芳」では日本側からだと一見アヘン撲滅のためにイギリスと闘った林則徐を描いた反英米映画のように見えるが、中国人からだと列強勢力から国を守る国士の反日映画のように見えるというトリックだ。 上の命令の制限がある中、それでもプロパガンダ映画では終わらせない、自分たちの映画を作るという気骨が感じられた。

youtu.be

挿入歌の売糖歌を布教していく。


「私の鶯」では登場人物の会話はほぼロシア語で一見するとヨーロッパ映画にしか見えないミュージカル映画だ。ハルビン交響楽団を擁し世界に通用する芸術映画を作り出そうという野心も感じられた(ただこの映画は戦時中放映されなかった)。日本初の音楽映画と言われている。

これらの映画がどれも太平洋戦争開戦後、1941年以降に作られていたから驚きである。

長々と書いてしまったが、結局戦時中でも面白い映画は面白いぞ〜というのと、緊急時だからこそ見える人間の強さ、美しさが魅力的だぞ〜ってことを布教したいだけだったのだ。

これからの「正義」の話をしよう ──いまを生き延びるための哲学

積ん読を消費した。

この本はざっくり言うと、正義と道徳という観点で現実問題を交えながら、自由主義功利主義、美徳を涵養することと共通善について議論する本だ。

哲学、道徳的な議論でも具体例として現実問題を挙げることで非常に読みやすくなった気がする(これまで哲学系の本挫折しがちだった)。

大まかな道徳的見地における対立の雰囲気(リバタリアン功利主義など)が掴めてポリコレ問題に少し興味も湧いてきた(ただポリコレで重箱の隅を突くようにつっこんでくる人たちは弱者であることを盾に社会的に反論しずらい正論を振りかざしてくることがあってちょっとな、そもそも議論して改善って感じでもない剣幕だよな...と自分はたまになってしまう)。

この本は一人で黙々と読み進めるには重くて、友人と「この問題どう思う?」と話しながら議論するのが良いし楽しい。

実際友人と、臓器売買って将来絶対必要になるよね、市場に完全に任せてはいけないけど、みたいな話で盛り上がった。

結局我々はポジショントークすることしかできないが、多くのポジションを経験したり、多くのポジションの意見を理解するうちに、段々と視野が広がってゆくのだろう。 一見中立に見せかけた無知にだけは絶対になりたくない。

ふつうのLinuxプログラミング 第2版 Linuxの仕組みから学べるgccプログラミングの王道

Twitterで集まった大学の先輩方と一緒に読んでいた本。

Linuxシステムコール、ライブラリ関数を叩いてコードを書いて実践しながら、基本的な仕組み(パイプ、プロセス、ファイルディスクリプタなどなど)を学べる。

コードを書いて実践しながら理解するのは自分に非常に合っていた。

ただOSの仕組みをもっと知りたい人にとっては、理論が少なめなので別に補完する必要がありそう。

Linuxがどう動いているかが手軽にわかるという点で、CSを専攻せずに軽くOSを仕組みを理解したい人向けにこの本をめっちゃお勧めしたい。

因みにRustの勉強のためにRustでこの本のコードを書き直したので、もし良ければ使って(httpサーバの実装はまだ未完成、5月中に更新する)。

github.com

別の言語で書き直すのはプログラミング言語の理解、本の内容の理解どっちも取っても非常に学びが多い気がする。

と同時にRustでの良い書き方ってのがあまりわかっていないことも実感して、これを読みたいなとなった(5、6月でやる!!)。

rust-unofficial.github.io

ゼロから作るDeep Learning 3 - フレームワーク

研究室の輪講で読むことになった。

誤差逆伝播の具体的実装が非常に役立った気がするが、Pythonという言語そのものが書いていて辛いなというお気持ちになった(型推論+関数型っぽく書ける静的型付け言語が好き)。

使いたいプログラミング言語に対するエゴが最近強くなっている気がしてきて、目的物を作るための道具であることを忘れつつある自分もいるなと。 もしかしたら目的に一番適しているのならその言語を使うことも必ずしも悪ではないだろうと割り切るの大事ではないか?

まあ実装の選択肢が多いってのは決して悪いことではない、頑張れ自分。

自作フレームワーク上で逆伝播、深層学習のアルゴリズムが動いていることを確認できはしたが、結局機械学習が何をやっているのかよくわからなかったため、後述の本を読むことを決めた。

ゼロから作るDeep Learning ❸ ―フレームワーク編

ゼロから作るDeep Learning ❸ ―フレームワーク編

  • 作者:斎藤 康毅
  • 発売日: 2020/04/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

東京大学工学教程 情報工学 機械学習

機械学習入門者だが数式を交えてそれなりに理解したかったから読んでいた。

研究で必要なのは深層学習であるため(必要なくなった)、基礎を理解するという点で四章までしか読んでいない。

流石に最初からPRMLは重すぎると思っていたら、友人から話を聞いて良い感じに機械学習のエッセンスが詰まっている本ということで。

これ自分の主観なんだけど、網羅性が高い辞書的な本が名著と呼ばれている傾向が強いのが謎だったりする(網羅性が名著であることの条件という暗黙の了承がなんか嫌だ、自分が名著と思ったらそれは名著でいいじゃないか)。

どんなに良い(と言われている)本であっても、挫折しないで読み続けることが一番大事だと三年ぐらいかけてわかった気がする。続ければ自ずと力がつく。

自分の今の理解力と取れる時間を天秤にかけて一番良い本を選びたい。

そういう点で詳しい人に、自分の目的を果たすためにはどんな勉強法が良いか聞ける環境ってめっちゃ良いな。

余談だがこの本は非常に非常に非常に(大事なので3回言った、何なら10回は言いたい)、誤植が多いので読む方は注意が必要だ。

第5刷を買ってしまった人は同情する。本に書いてある計算結果が全く異なる場合が多々ある(さらにそれは明らかに間違っていることが多い)。 著者は常識を疑う力をどうしても付けてもらいたいのかな???

東京大学工学教程 情報工学 機械学習

東京大学工学教程 情報工学 機械学習