2024年の目標

やっと重い腰を上げて2024年の目標を書く。

因みに、もう1/4終わってるんだよね、まあ書かないよりはマシ。2024年は最後の学生生活。悔いの無いようにしたい。

 

2024年の目標は、自分が取り組んでいることに誇りを持って、信じて、ワクワクすること。

誰か権威が正しいと言った価値に取り組むことは簡単なんだけれども、自分の中で取り組みたい、ワクワクすると思った対象を大事にする。周りの評価は気にしすぎない。自分が良いと思った感性を信じてあげる。取り組む前にうじうじしないで、取り敢えず決断して前に進む。良いか悪いかは取り組む前に決めすぎない。取り組みながら分かることもある。試行の量は増やすことが大事だと思う。行動からの経験で学べることが多い。取り組んでいる過程が楽しいと更に良い。

理想が高過ぎ無いか、再確認する必要がある。理想が高くなりすぎると、何でも自分が取り組むことに意味が無いのではと思えてしまう。それだと、一歩を踏み出せずどこへも行けなくなってしまう。また所属しているコミュニティの基準を再確認することが大切だ。周りに居る人間が狂っててそれに染まってしまって理想が高くなったり、他社会一般からかけ離れたことを標準だと思ってしまいがちだ。基準を再確認することで、自分に合ったコミュニティを見つけられるだろう。

 

あと、感情のコントロールをもっと覚える。自分はあまり好きじゃない人と一緒に居たり、好きじゃないことに取り組んでるとすぐ影響受けて、パフォーマンスを出せなくなる。そういう場合、環境を変えるという対処法も勿論ある。ただ、どうしてもその状況を変えられない場合もあるので、そういうときに受け流せるようになりたい。そこに関しては自分では制御不能なので。自分の耐性というなキャパというか、いなし方を覚えたい。バカ正直に影響されるだけ損なのである。

自分の自己肯定感は低いのだと思う。すぐ人の言うことで傷つくし、元気にもなる。周りに影響されやすい。ただ別に低くて良いのだと思う。低いことを開き直って、それでも前を向き続けられるのなら良いよね!小さなことに拘泥するのではなく、それも踏まえて大きな人間になっていきたい。

 

 

余談だけれど、今日友人の専門学校の卒業ライブを聴きに行ってきた。それぞれのグループで自分たちの世界観を披露するのだけれど、世界観をどこまで信じられるかってのが重要になってくる気がした。その世界観がお客さんにウケるかは正直分からないけど、それでも曲を作って練習して成果を公表するってのを繰り返すしかない。誰かはきっと好きになってくれるはずだし、誰かに届くにはそのイテレーションを繰り返すしかないのだ。

 

 

ブが書けなくなった

ブログが書けなくなった。

書きたい文章が書けなくなったこと、細かい心理描写を上手にできなくなったこと、それすらも文章にすればブログ記事を少しは書ける気がしてきた。前に進める気がした。

 

普段ブログを書くときの大まかな流れは、何かしらを経験しその結果感情が揺さぶられて、頭の中からどんどん文章が生成されるというものだった。

 

逆に言うと、最近日常に起こっていたことがブログにするほど面白くないことなのかもしれない。

ただそれはおかしい。面白い話題は思い出せばあるはずなのだから。。

 

つい2週間前にはインド旅行をし、アグラという観光地で無事にぼったくりに遭遇した。俺たちは一人4000円の布を買わされた挙げ句、その布をモスクにお供えさせられた。結局残った物は何も無かった。ただガイドと露天商が結託して俺たちを帰させない戦略が一枚上手だったということが分かった。このお供えは貧しい人のためだとか露天商は言いながら、布を使い回してまた売っていそうだった。

インドを旅行していると、本当か嘘かが大して重要じゃなくなってくる。政府公認かどうかも最早重要じゃない。観光地に行くと政府公認の警備員が勝手に写真を撮ってきたり、頼んでもいないのにガイドを始めて金を取ってくる。こんな突然ガイドをしてくる訳でもなくこちら側から雇ったガイドや運転手は彼らで日本人御用達のお店に連れて行き、外国人価格として高い金を取ってくる。生活がかかっているからか、彼らはめちゃくちゃにがめついのだ。

現地の情報をもっと集めたり、相場を理解したり、真贋判定ができれば良いのだが、数日しか滞在しない観光客が現地の人間には絶対に勝てない。そもそも何でも疑い過ぎては、観光してるのに全然楽しめないだろう。そもそも100%損とか100%得と決めることはできない。ならばそれが多少損をするかもしれない行為でも、取りあえず決断して経験してみてクソだったね、とゲラゲラ笑うぐらいの方が楽しい。

損得って確かにお金を指標として見ると数値で評価できるものだと錯覚するんだけど、精神的な問題の方が大きいと思う。あまり過去の損得に引っ張られない方が、次の決断をよりクリアにできるのだろう。決断してどんどん先に進んで行った方が結果的に得られる物が多いんだ。自分は変に完璧主義になったり、過去に引っ張られて行動できなくなるときがある。そうなりそうな自分を再認識して遮断して前に進めただけでも、インドに行った収穫があると信じている。

 

フォーマットは何であれ、自分の所感を文章として残すと、自分が感じていることを信じることができるのだと再実感した。

この過去一年は自分の感性が曖昧で、自分でも何を考えているか分からなかったり、同時に自分の所感を信じることもできなかったのだと思う。

不満があって何とか現状を変えたいのだけれど、変に大人になったふりをして飲み込もうとしていた。飲み込むというのは、感性を曖昧にすることだ。考えてもどうしようもないから何を考えているか分からなくさせる。俺はそういうのが苦手な一方で、そこら辺を上手くやる(大人なように見える?)周りの友人たちが人生の数段階上を進んでいることへのコンプレックスがあった。上手くいっていない自分の原因を、大人になったふりをすること、感性を曖昧にすることで解決しようとした。

けど、これが上手くいかなかった。自分の感性を曖昧にすればするほど、自分の価値観を信じられなくなる。そうしたら、より一層他人のことが羨ましくもなるし、自分が上手くいってないように感じられる。

この上手くいっている、いっていないの感覚も先程話した損得の感情と似ている。上手くいっていないことの原因を、大人になれないことに見出そうとしたが(この仮説自体間違っている気がしてる)、結果それで自分が楽しくないのならそんなこと直ぐにでもやめるべきなのだ。

俺の場合、大人になったふりをすることで周りに壁を作るようになったし、余計なプライドが増長してしまった。

そして俺は自分のみずみずしい感性が好きだったのだと再実感した。良いことも悪いことも感性で受け止めながらも、決断して前に進みたいんだ。そうしたら、勝手にブログをまた書けるようになってるのだろう。自分が今取り組んでいる研究も信じられなくなっていたが、それもブログが書けなかった理由と近いのだろう。光明が見えたのでまああと一年研究は頑張ってみる。

 

こんな風に最近やっと自分の中で納得がいき、無事こうやってブログを書くことができた気がする。

因みに、以下の本たちは再びブログを書くきっかけになれた本たちでもし興味があれば読んでみて下さい。遠き落日は、如何に野口英世が愛されるダメ人間だったか分かる痛快な小説で、傲慢と善良は言わずもがな婚活の渦中の心理をこれでもかと思えるほど炙り出した小説です。

 

 

 

 

自分主導で行う技術的なプロジェクトについて注意するべきこと

どうもyapattaです。

最近、自分がオーナーシップを持って複数のプロジェクトに関わらせて頂いている。

非常に楽しくやらせてもらっているが、同時にこれに取り組むにあたって注意するべきことに注意しないと、健康を害したり、完成物ができなかったり、タスクばかりが増えてしまったり、非常に辛いお気持ちになるので、今回は自分への自戒も込めて、所感をまとめておこうと思う。

 

期限と何が目的なのかは最初に明記しておく

自分の場合、プロジェクト内のある詳細に取り組むことが楽しくなってしまい、締め切り、本来の目的というのを忘れがちである。そしてズルズルと締め切りを伸ばしてしまい、結局完成を待たず放置してしまったということもある。それを防ぐために本来の目的に対して、定期的に自分の進捗が適切に進んでいるのかを確認するのが大事なように思える。これによりタスクを無限に感じることなくリラックスして取り組めるようになる気もする。

確認事項として、実装する機能について優先順位を付けられているか?*1、今取り組んでいる実装が細かすぎないか? *2、新しい課題を見つけてそっちに引っ張られていないか?*3、全体的なスケジュールに対して余裕を持てているか?*4等と問いかけるのが重要だ。

誰かが自分の代わりにここら辺を管理してくれることもあるが、自分で管理できるに越したことはない*5。段々年を取るにつれて、周りの誰かが管理してくれる状況はどんどん減る気がしている。それでも一人で溜め込んで間違った方向に進むこともあるので、人に相談したり、外部へ公開したり、発表したりするのを忘れないよう意識したい。

 

技術の使い方について

プロジェクトの目的が何であれ、それを実現するために既存の技術を組み合わせる必要が出てくる。本当に何もないところからそれ自体を実現することは殆ど無いし、難しいだろう。そのため、自身のプロジェクトの目的に近いユースケースを探したり、自身のプロジェクトの他との立ち位置を客観的に見つめることが大切になってくる。拝借できる部分もあるだろうし、先人が簡単だ、難しいと感じていることを理解することで、どこまで自身のプロジェクトで行えるかのスコープを決められる。欠点を補完するために、他の技術と組み合わせたり代わりに使ってみようと思えるかもしれない。

ただ技術を比較することに終始し過ぎて全く完成物ができないみたいなことにも陥りがちなので、期限を決めて技術を選定できると良いのだろう。実際に動くものを作るにはそれなりに時間もかかる。

 

技術に関わる説得について

多くのプロジェクトにおいて、技術はプロジェクトの目的を満たすための道具である。プロジェクトの目的がビジネス的なものなら、例えばプロジェクトでその技術を使って得られること、選定の理由を会社のOKRと照らし合わせて説明できるようにすることが求められる。また、研究などであったら他の手法に対する優位性を多角的に評価を取って説明することが求められる。これらの説明をするに当たっても、過去の先例というのは役に立つ。自分の理論に説得力を持たせるために何を証拠として利用したか説明するときの根拠としても役に立つ。具体的な評価自体はセンシティブで公開できなくとも、評価指標を公開するというのは後進にとって非常に役に立つだろう。今我々が、利用する根拠を知らなくても安全だ、便利だと思って使っているものは沢山ある*6

 

まとめ

最近の自分主導で行うプロジェクトについて意識したいことをまとめてみた。誰かにおんぶで抱っこしてもらうことも前より減ったが、段々と自分のオリジナリティを持って取り組めることも増えてきた気がしている。

リラックスして楽しみながら取り組めたらと思う。

 

続く。。

 

*1:目の前の面白そうな機能に目移りしがち

*2:丁寧な実装は将来の自分に返ってくることもあるが完成させることも大事

*3: 課題を見つけること自体は良いことなのだが、今やるべきかは吟味する必要がある

*4: 大体締め切りに余裕を持っているぐらいの方が良い

*5:自分と一番関わるのは自分なので

*6:例えば飛行機という巨大な鉄の塊が安全に空を飛べる根拠も、評価指標も我々は知らないが安全で便利だと思って利用している

取り組む対象について意識的にゆっくり考えるのが大事な気がする

なんというか久しぶりのお気持ち記事。

そういえば最近セキュリティキャンプというものにチュータとして参加して若い将来有望な子たちを無限に見てきました。 3年前に参加したときのワクワク感(オンラインだったんだけど)を思い出したと同時に、前より当時の状況を俯瞰して見れていて色々気づくことがあったので、せっかくだし当時の自分宛てにお気持ちでも生成しようと思った次第です。

yapatta.hatenablog.com


当時の自分のスキルセットとしては、セキュリティについてはあまり詳しくないが、競プロやウェブ、インフラ周りが少し他の人よりはできたみたいな感じでした。興味がある分野としては何となく計算理論がありましたが、別にオリジナルで発表できるほど黙々と長い間取り組んでいたわけでもありませんでした。何となく多くの人がやっていそうな分野をそこそこやって程よい成果を挙げるみたいなコスパ重視で取り組んでいました。実績としてわかりやすかったし、それで承認欲求を得ていました。

そんな感じで何かある特定の分野についてめちゃくちゃ詳しいというわけではなく、また未踏に参加している人のように自力でやりたいことを明確に描けるわけではなく、何となく他者の価値観に良くも悪くも影響されるようなフレッシュな人間だったわけであります。

そんな自分に何かしらの劣等感が無いといったら嘘になります。セキュリティキャンプに参加したとき、自分でやりたいテーマを明確に持っていて継続的に取り組んでいる人たちを見て強い憧れを持ちました。もうテンションがハイになっていました。

そしてそんな人たちみたいになりたいがために、彼らがやっている分野に安易にとびついてしまいました(そしてできもしないのに完璧に理解しようとしてしまいました)。充分な時間もかけられなかったし途中で面倒くさくなって、最低限の知識は身に付いたかも怪しく挫折してしまいました。何者にもなれなかったなあ〜、強強への道は遥か遠くだなあみたいなことを思い、再び劣等感を抱きました。


ここでの教訓は、一時的なハイな感情に揺らされ過ぎてはいけないということでした。 当時の自分は刺激中毒みたいな状況に陥ってしまっていました。 2020年あたりはコロナウイルスへの自粛期間ということもあり、大学に通うことも殆ど無く関わる人も非常に限られており刺激が少なかったため、オンラインでの知らない人達と関わったり何かのイベントで承認欲求が満たされる機会というのは垂涎の的だったのです。

勿論多くのイベントに参加して色んな人と交流をしたり自分が知らない新しい知見を手に入れることはめちゃくちゃ良いことです。 ただ安易に取り組む課題を追加したりだったり、完璧に理解しようとはせず、一度ゆっくり考えて自分が長期的に目指すことに上手に取り込んでいけたらよかった気がしています。 一度深呼吸して、どこが自分の役に立っているんだっけ?どの部分だけ最低限理解していれば良いんだっけ?ってのを取捨選択してもう一度考えられたら良い気がしています。

それが結果的に自分でやりたいテーマを持つことにも繋がるし、じっくりブレずに継続的に取り組むことにも繋がるような気がしているのです。


まとめとして、何か刺激を得たときに安易に飛びついてそれを完璧にやろうとし過ぎず、一度立ち止まって自分なりに取り込むものを取捨選択しながら自分の軸に追加していけたらなあと思っています。 今の自分(特に研究において)への自戒も含めて文章を締めようと思います。

セキュリティキャンプ2023参加記

どうもyapattaです。

セキュリティキャンプ2023のチューターとして今回参加してきた。キャンプ終了後の参加記RTAを目指してを書いていく*1

 

きっかけ

今年のセキュリティキャンプ(これからはセキュキャンと略する)は三年ぶりのオンライン開催だった。自分は2020年度に受講生として参加した*2。講師の方々に非常に良くしてもらい技術に対する興味関心が圧倒的に高まった2ヶ月だった*3

yapatta.hatenablog.com

 

とは言え対面開催に比べたら制約は強く、色んな人と交流はできたがその後オンラインだけでお互いの存在を観測するみたいになりがちだった。対面開催で色んな人と交流することへの憧れもあり*4、また自身が分散合意アルゴリズムについてそこそこ知っていたこともあり分散合意ゼミのチューターに申し込んで無事参加することになった。

 

講義内容

自分が参加したゼミは『故障を乗り越えて動くシステムのための分散合意ゼミ』というものであった。ざっくり言うと巷で良く使われている分散合意アルゴリズムRaft*5をGo言語で実装しながら耐故障性を高める基盤技術である分散システムについて学んでいこうぜ、というものだ。

詳細について自分で説明しようと思ったが、受講生がせっかく頑張ってくれたわけだし彼らの成果発表スライドでも上げておく。これを見たら大体何をやっているかわかると思う。

 

speakerdeck.com

 

感想

Go言語はchannelやgoroutineなどの機能のおかげで大分並行システム*6の実装が楽になるが、それでも実際に分散システムを作ってみると状況整理が非常に難しい。一つ一つの挙動自体は難しくないのだが、それらが複数同時に絡みあっていて複雑に見えてしまう。実際受講生が実装中に報告してくれたバグ自体もどれも巨大なものではなかった。例として、goroutineが止まれなくて無限増殖してしまったり、timerの時間管理が想定通りに動いていなかったり、フォロワがログの追加を認める場合の条件設定が論文の内容と少しズレていたりと。現在の状況を整理して、その上で一つ一つを一緒にバグを潰す作業は非常に楽しかった。と同時に自分が実装するときに気をつけようと思えることも沢山あって、逆に自分が学ばされた*7

 

というか彼らの吸収が早くて無限にすげえ〜となっていた。Raftの論文を読んだことが無い人が3日ちょいでRaftを作るってのは中々できることではない。実際初めて自分が論文を読んだときは何言っているかよく分からなくなっていた。本当にunderstandable consensus algorithmか?、と。

次世代の人たちが新しいことをどんどん吸収して覚えていくのは見ていてワクワクするし、応援したくなる。背筋が自然としゃきっとする。自分に教えられることがあって周りの役に立っているというのも悪い気がしない。自分もセキュキャンコミュニティの輪の中で生かされてしまっているな。学ぶ立場から段々と教える立場に変わって後進を育てながら一緒に更に学べるコミュニティが身近に存在していることがありがたすぎるぜ。次は講師を目指したい、教えられることも増やしていきたい。

 

まあこんな感じでこの文章を終わらせる。5日間非常に楽しくゼミを走り抜けることができて、分散合意ゼミで関わった講師と受講生に感謝しかない。ゼミ外の他のタイミングで関わってくれた人たちもありがたいぜ。

*1:結局書くのが面倒くさくなって今になった

*2:当時参加したゼミはReDos検出プログラムの作成とOSSへの適用というもの。内容はゴリゴリの計算理論とグラフ理論で中々にアルゴリズムの実装が楽しかった

*3:当時は10月から12月初頭にかけて週末にゼミが開催された

*4:タダ飯を食べたいとは言っていない

*5:https://raft.github.io/raft.pdf

*6:並列と無闇に書くと強い人に殺される

*7:教えるとより理解が深まるとはよく言う

社会性は低くても良いが最低ラインを持つに越したことない

どうもyapattaです。

ふと社会性について思うことがあって何となく書いてみる。社会性を獲得するのはまじで難しい。。。

 

社会性が必要の無い生活というのは非常に快適である。自分と似たような人達と付き合い、お互いに言いたいことを言い合って自分のペースで生活できる。

ただどうしてもそのような生活を続けると局所に陥りがちで他の環境に適応できなくなってくる。また新しい情報も入ってこない。たまには自分が快適だと思わない環境にも身を投げ出して順応することが大事になってくる。

とはいえあまりに環境が違いすぎると慣れるのに自分が疲れてしまうか、壁を作ってしまう。そのため自分の中で快適さのラインを作ることが良さそうに思える。どこまでは楽で、快適で、辛くて、何とかなるかである。そのラインに応じて無理のない程度に順応できたらいい。

このラインは、自分のメンタル的な状況や経験、環境によって時折変化するので、アイデンティティとして固く誓うよりは、定期的にアップデートしていくのが良さそう。広がったり狭まったりする。

ただ難しいこととして、自分が持っている快適さのラインが多くの他人と異なる場合に、自分の快適さのラインを押し通し過ぎてしまうと、段々人が離れていってしまう。それでも問題ないと開き直るのでも良いが、やはり他人の助け無しで生きていくのは難しいので自分の快適さのラインを度外視して他人に合わせる必要がある。勿論それは疲れることなのだが、そういうのも必要だぐらいに割り切った方が意識はしない分疲れも少ない。何なら割り切れるようになったらもうそれは快適さのラインが更新されてるということだろう。多くの辛い状況というのは好くない方の考えに意識が引っ張られ続けている場合が多い。

 

まあこうやって自分が壁を作らない程度に程よく社会性ラインを更新していけたら社会でうまくやっていけそう。自分の快適さを押し通し過ぎると、そもそも社会性ラインを更新するイベントにすら出会えなくなって局所に陥ってしまうのと、より自分に快適な方へ進んでしまう。

意識的に快適さと社会性のバランスを取ろうと思う。自分を守るための社会性であったと、最近になってやっと気づいた。

 

続く。。。

戦略的に心に向き合うのは大切だな

二年前の夏に心がしんどくなってから自分の心に向き合おうと自分の所感を言語化して心を大事にしようとしていたが、言語化したところで思い通りにならない、納得できないことも多々起きる中で戦略的に心に向き合った方が良いんだなと感じたお話。

 

まず自分の所感を言語化しようとするとき大体は自分があまり良いと思わないことなのだが、そんな嫌なイベントが起きたときに自分で言語化して納得しないと動けなくなるというのはときに不便だ。

元々嫌だと思うことを行動に移せない方だった。腰が重かった。それと向き合うために所感を言語化してきたが、常に言語化するのも非常に疲れるし、エネルギーの使い方としては下手だったのかもしれない。そもそも所感を言語化したからといって現状に向き合えるとも限らない。

自分の所感とは関係なくどうしようもない納得できないことが多々目の前に起こりうるし、まあ嫌だと思いながらもなんとかしていくしかない(まあそれでも無理なら撤退!)。

そんなもんだと割り切って脳の意識のリソースを使わない方が何かと健全だった。

 

それでも、どうしてこんな仕組みなんだろう、おかしい、許せないと思ってしまうことは生きていて絶対にあるのだが、感情的になって頭がそれに支配されるよりは戦略的に怒ることが重要になってくる。

自分の所感を周りに理解されないことなど絶対に起こる。

例えばそこで怒りを抱いて自分がどうして嫌かを言語化して相手に話しても、その所属しているコミュニティで当たり前と捉えられているならば取り合ってもらえない。そういうものだと言われておしまいである。

そこで重要になってくるのは、その課題が果たして解決されるべき課題かということだ。感じる課題など複数個存在するし、全てが解決されるというのも現実的に難しい。どの課題を解決すれば、周囲に合意を取れたら、自分にとって一番良い方向に持っていけるか戦略を練ることが大事になってくるんだ。

でないと、どうしようもないことに頭が引っ張られてずっと嫌な感情に支配されることになる。

 

 

何となく下の動画を見て思うことがあった。課題が山積みなんだけど、嫌な感情に支配されすぎずに解決できることに焦点を当てて課題を潰していけたら良いな。

 

100%自分の気持ちと向き合えることは不可能だし、何でも言語化したからといって上手くいくわけでもないけど、自分にとって良い方向へと持っていくために戦略的に心に向き合っていけたらいいわね。

 

続く。。。